鳥飼井路(読み)とりかいいじ

日本歴史地名大系 「鳥飼井路」の解説

鳥飼井路
とりかいいじ

安威あい川と淀川に挟まれた低湿な沖積地である現高槻たかつき三箇牧さんがまき地区および摂津市鳥飼地区の悪水を神崎川に放流する排水路。古くは鳥養井路とも書いた。この地域は淀・安威両河川の堤防決壊による洪水氾濫のみならず、上流からの悪水・内水の流入、下流地区からの悪水の逆流滞留により、絶えず水災を受けてきた。

江戸時代の初め頃、鳥養とりかい郷内の悪水は、鳥養八坊とりかいはちぼう村のッ樋付近で安威川に放流していたが、安威川河床の上昇により排水がきわめて困難になってきた。このような状態を解消するため番田ばんだ井路とともに、慶安四年(一六五一)から承応二年(一六五三)にかけて高槻藩主永井直清によって開削されたのが鳥飼井路である。鳥飼井路は安威川左岸沿いに別府べふ村北部まで水路を作り、安威川に暗渠を設けて対岸味舌下ましたしも村へ導き、こんどは安威川右岸沿いに吉志部きしべ(現吹田市)まで水路を設けて神崎川に放流するという長大なものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報