日本歴史地名大系 「吉永中村」の解説 吉永中村よしながなかむら 岡山県:和気郡吉永町吉永中村[現在地名]吉永町吉永中現吉永町南部の金剛(こんごう)川と八塔寺(はつとうじ)川との合流点東に広がる平地にある。「吉備温故秘録」に「古へ官道の宿にて、人家多く有し由、今畑となれり」とあり、古代山陽道が東西に通ったと推定されるが、経路は詳らかでない。中世には一帯に吉永保が成立した。建仁三年(一二〇三)七月の備前国麦惣散用帳(東大史料編纂所蔵)に米富沙汰分一八一石余のうちに「吉永」とある。正平三年(一三四八)八月七日、「吉永保」五分の一地頭職が勲功の賞として近露六郎に与えられた(「後村上天皇綸旨」野長尾文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by