吉田川西遺跡(読み)よしだかわにしいせき

日本歴史地名大系 「吉田川西遺跡」の解説

吉田川西遺跡
よしだかわにしいせき

[現在地名]塩尻市広丘吉田

川の西に接する小規模な河岸段丘面に展開する遺跡で、昭和五九・六〇年(一九八四・八五)の調査で八世紀から一二世紀まで継続する集落跡が検出されている。集落の主体は竪穴住居で、掘立柱建物や土坑は少ないが、問題を提起する墓壙がある。遺跡を小期に分けると大型の竪穴住居は一、二軒、主柱を有しない小規模な住居一〇数軒という構成になる。

一一世紀中葉とされる遺構に堀を巡らす屋敷跡がある。中に一辺一〇メートルの大型竪穴があって、壁際より供膳具としての土師器一千五〇〇点、灰釉陶器二〇〇点が出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む