吉田賢一(読み)ヨシダ ケンイチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「吉田賢一」の解説

吉田 賢一
ヨシダ ケンイチ


肩書
元・衆院議員,元・民社党本部顧問

生年月日
明治27年11月15日

出生地
兵庫県明石郡明石町(現・明石市)

学歴
日本大学法律専門部〔大正9年〕卒

経歴
高小卒業後、25歳まで理髪職人をし、その後日大入学、卒業後弁護士となる。日農顧問弁護士として多くの争議を支援、弁護した。昭和7年全国労農大衆党から明石市議に当選。また全農では法律部長をつとめた。のち8年に皇国農民同盟を作り理事長に就任し、12年衆院選に当選。8期。戦後社会党に属して代議士となり、35年民主社会党の結党に参加し、同党兵庫県連会長などを務めた。

没年月日
昭和57年6月11日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「吉田賢一」の解説

吉田 賢一
ヨシダ ケンイチ

大正・昭和期の弁護士 元・衆院議員;元・民社党本部顧問。



生年
明治27(1894)年11月15日

没年
昭和57(1982)年6月11日

出生地
兵庫県明石郡明石町(現・明石市)

学歴〔年〕
日本大学法律専門部〔大正9年〕卒

経歴
高小卒業後、25歳まで理髪職人をし、その後日大に入学、卒業後弁護士となる。日農顧問弁護士として多くの争議を支援、弁護した。昭和7年全国労農大衆党から明石市議に当選。また全農では法律部長を務めた。のち8年に皇国農民同盟を作り理事長に就任し、12年衆院選に当選。8期。戦後社会党に属して代議士となり、35年民主社会党の結党に参加し、同党兵庫県連会長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田賢一」の解説

吉田賢一 よしだ-けんいち

1894-1982 大正-昭和時代の弁護士,政治家
明治27年11月15日生まれ。大正10年弁護士となり,小作争議をきっかけに農民運動にはいる。日本労農党などをへて皇国農民同盟を結成し,昭和14年衆議院議員(当選8回)。戦後は社会党をへて民社党の結成に参加。昭和57年6月11日死去。87歳。兵庫県出身。日大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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