朝日日本歴史人物事典 「吉田長治兵衛」の解説
吉田長治兵衛
生年:生年不詳
江戸中期,奥州磐城平藩(福島県)元文一揆の頭取,義民。柴原村(いわき市)の生まれ。元文3(1738)年9月一揆勢約2万人は藩の過酷な収奪に反対し平城下へ押し寄せ,新税撤回などを要求した訴状21カ条を藩に提出した。10月藩は頭取たちの吟味を開始。長治兵衛は入牢となり,翌年8月「百姓一同願ある節万端頭取我ままなる義有之」(『奥州磐城騒動抜書』明大蔵)を理由に,中神谷村武左衛門・藤間村理右衛門らと共に鎌田河原で死罪獄門となった。生地の遍照寺境内に墓,平鎌田の五霊神社境内に義民碑がある。<参考文献>『いわき市史』2巻,『新しいいわきの歴史』
(阿部俊夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報