(1)幸若舞曲の曲名。作者,成立年次不詳。上演記録の初出は1554年(天文23)(《証如上人日記》)。上下に分かれる。上だけを《景清》,下を《籠破(ろうやぶり)》として独立した本もある。悪七兵衛景清(平景清)は東大寺再建の供養のおり,頼朝を暗殺しようとして何度もねらうが,畠山重忠に妨害されて果たさず,都に上って清水の遊女阿古王のもとに身を寄せる。阿古王が訴人し,追手に囲まれた景清は2人の間の子どもを殺害し,包囲を突破して姿を消す(上巻)。その後,景清は舅の熱田大宮司を頼って尾張に下るが,大宮司が捕らえられると,自首して牢につながれる。景清は,清水観音の助けで厳重な牢を破る,斬首されると観音が身代りに立つ,などの奇跡を現し,頼朝も感じてこれを許し,領地として日向宮崎荘を与える。景清は報復の念を絶つため,みずから両眼をえぐり,宮崎荘に下って長寿を保ち,大往生を遂げる(下巻)。テキストによっては,開眼説話を伴うものがある。景清の名は《平家物語》諸本に見えるが,延慶本,長門本には降人となった景清が大仏供養の日に湯水を絶って干死したとある。本曲と内容が類似する謡曲に《景清》《大仏供養》《籠景清》などがあって,これらの景清説話は日向の盲僧集団などによって育てられたものと推定されている。なお,江戸期には近松の《出世景清》,文耕堂の《壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)》,歌舞伎十八番の《景清》などがあってその影響は大きい。
執筆者:山本 吉左右(2)能の曲名。四番目物。作者不明。シテは悪七兵衛景清。景清は,源平の戦乱後日向の宮崎荘に下り,盲目の琵琶法師となって乞食の生活を送っている。うわさを聞いた娘の人丸(ツレ)が鎌倉からたずねてくるが,景清はわざと他人のように応対する。しかし人丸が里人(ワキ)に伴われてまた訪れるので,かたくなな心を和わらげて対面し,しみじみと言葉を交わす。景清は娘の頼みに応じて,屋島の合戦で敵方の三保谷四郎(みおのやのしろう)と力競べの錣引(しころびき)をした武勇談をして聞かせ(〈中ノリ地〉),涙ながらに別れを告げて鎌倉へ帰す。中ノリ地が中心だが,その前後の親子の情愛の描写もこまやかである。なお景清の初めの述懐は,〈松門(しようもん)の謡〉と称して特殊な節付けである。人形浄瑠璃《嬢(むすめ)景清八島日記》などの原拠。
執筆者:横道 万里雄
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能の曲目。四番目物。五流現行曲、ただし金春(こんぱる)流は明治の復曲。作者不明。心理劇の傑作。かつての武将悪七兵衛(あくしちびょうえ)景清(シテ)は、日向(ひゅうが)国(宮崎県)に流人となり、盲目の乞食(こじき)として生きている。鎌倉の遊女との間に生まれた娘人丸(ひとまる)(ツレまたは子方)は、従者を伴ってまだ見ぬ父を訪ねて九州へ下ってくる。身を恥じて名のろうとせぬ父。里人(ワキ)の引き合せで娘に頭(こうべ)を垂れた景清は、かつての武勇を物語り、死後の回向(えこう)を頼み、去っていく娘を見送ってひとり立ち尽くす。景清の能面にも髭(ひげ)の有無両様があり、敗残の姿に焦点をあてるか、消えぬ反骨を主軸とするか、さまざまの解釈、演出がある。三保谷(みおのや)の四郎との錣引(しころびき)の武勇談の部分は、狂言の小舞(こまい)としても演じられる。このくだりは『平家物語』を原典とするが、流人、盲目、親子再会の話は『平家物語』にはなく、別系統の景清伝説に拠(よ)ったものだろう。頼朝(よりとも)暗殺をねらう景清を描いた能に『大仏供養(くよう)』(奈良詣(ならもうで))がある。ともに後世の浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)から常磐津(ときわず)、長唄(ながうた)まで大きな影響を与え、多くの景清物を生んだ。
[増田正造]
浄瑠璃、歌舞伎の一系統。平家の遺臣悪七兵衛景清(平景清)の事跡に取材したもの。幸若(こうわか)舞や謡曲にも扱われたが、江戸期になると、最後まで源氏への報復を心がけた景清の執念に民衆が共鳴したため、古浄瑠璃以来、多くの作が生まれた。浄瑠璃では近松門左衛門の『出世景清』(1685)を基本に、『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』(1732)、『嬢景清八島日記(むすめかげきよやしまにっき)』(1764)など。歌舞伎では「歌舞伎十八番」の『景清』『解脱(げだつ)』『関羽(かんう)』などのほか、『錣引(しころびき)』『琵琶(びわ)の景清』『岩戸の景清』や長唄の舞踊『五条坂の景清』などがある。
[松井俊諭]
落語。原話は初代米沢(よねざわ)彦八著『軽口大矢数(かるくちおおやかず)』所収の「祇園(ぎおん)景清」で、その系統の上方(かみがた)落語『景清の眼(め)』を3代目三遊亭円馬が東京へ移したため、現在は東西で口演されている。東京落語の『景清』では、定次郎が急に目が見えなくなり、赤坂の日朝(にっちょう)様へ願掛けをする。21日目の朝、すこし見えたので「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」を唱えていると、同じような境遇の女がお題目を唱える声が聞こえ、その女に邪念をもったためにまた見えなくなる。それから石田の旦那(だんな)の勧めで上野の清水観音(きよみずかんのん)に願掛けをする。ここは昔、悪七兵衛(あくしちびょうえ)景清が目をくりぬいて納めたという京都の清水観音の出店だが、百日通っても御利益(ごりやく)がなく、定次郎は観音様に当たり散らす。旦那に諭されて帰る途中に雷雨にあって気絶するが、やがて気がつくと目があいていた。浄瑠璃(じょうるり)の『壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)』と相通じ、背景に強い観音信仰がある。8代目桂文楽(かつらぶんらく)がこの作品を磨き上げて絶品とした。
[関山和夫]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…それは語り物とはいえ,ドラマの本質を備えた戯曲を得てはじめて真の達成をみるべきものである。 85年近松門左衛門が義太夫の門出を祝って執筆した《出世景清》は,孤独の勇者景清と彼を愛するゆえに裏切りを犯す阿古屋との深刻な葛藤を扱い,義太夫節の出発点にふさわしい,近世悲劇(広末保《近松序説》参照)の本質を備えた作品であった。1703年(元禄16)近松・義太夫コンビによる最初の世話浄瑠璃《曾根崎心中》が上演され,人形浄瑠璃の現代劇化はいっそう推し進められた。…
…瘦男(やせおとこ)や蛙(かわず)は死相を表し,三日月や阿波男,怪士(あやかし)などは神性の表現に特徴がある。平太(へいた)と中将は特に武将の霊に用い,頼政や景清,俊寛など特定の人物への専用面も現れた。喝食(かつしき),童子など美貌若年の面のなかにも,蟬丸や弱法師(よろぼし),猩々(しようじよう)といった特定面ができてくる。…
…5段曲。大筋は能《大仏供養》,幸若舞曲《景清》,古浄瑠璃《かげきよ》に拠るが,この年東大寺大仏修復の大勧進が開始された事件の当込みがある。また源平合戦の武将たちの五百年忌にも当たり,〈八島〉や〈景清〉の世界が選ばれた。…
…上総介藤原忠清の子。悪七兵衛景清と称された平家の侍大将。1180年(治承4)の源頼政との戦いをはじめ,源平争乱のなかで源義仲・行家との合戦,一ノ谷,備前児島の合戦など各地を転戦。…
…文耕堂,長谷川千四合作。近松門左衛門の《出世景清》を素材として,平家滅亡後,鎌倉の源氏方に追われる平家の侍大将悪七兵衛景清と,その愛人五条坂の遊女阿古屋の物語を描いたもの。全5段。…
※「景清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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