北尾重政(読み)キタオシゲマサ

精選版 日本国語大辞典 「北尾重政」の意味・読み・例文・類語

きたお‐しげまさ【北尾重政】

  1. 江戸中期の浮世絵師。江戸の人。北尾派の祖。初姓北畠。俗称佐助。号花藍、紅翠斎。独学で鳥居清満、鈴木春信らの画風を学び、一派を樹立。絵本さし絵を多く描き、美人画、風景画にすぐれる。俳諧、書道もよくした。元文四~文政三年(一七三九‐一八二〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北尾重政」の意味・わかりやすい解説

北尾重政
きたおしげまさ
(1739―1820)

江戸後期の浮世絵師。北畠(きたばたけ)氏。名は兼儔(かねとも)、字(あざな)は非羸(ひえい)、通称久五郎、花藍(からん)、紅翠斎(こうすいさい)などと号した。江戸小伝馬町一丁目の書肆(しょし)須原屋三郎兵衛の長男として生まれる。独学自習のうちに画才を伸ばし家業を弟に譲って浮世絵師となる。宝暦(ほうれき)(1751~1764)の末ごろから作画して紅摺絵(べにずりえ)の役者絵を残し、明和(めいわ)年間(1764~1772)の錦絵(にしきえ)草創期には、鈴木春信(はるのぶ)に次ぐ有力画家の一人として活躍した。安永(あんえい)・天明(てんめい)期(1772~1789)に全盛期を迎え、遊里を中心とする世態風俗の活写にとりわけ秀でた。錦絵に『東西南北之美人』『品川君姿八景』など優れた揃物(そろいもの)があるが、数量的には絵本、挿絵本の類のほうが圧倒的に多い。絵本としては勝川春章(しゅんしょう)との合作『青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)』(1776刊)が名高く、黄表紙には100点以上も作画している。門人北尾政美(まさよし)(鍬形蕙斎(くわがたけいさい))、北尾政演(まさのぶ)(山東京伝)、窪俊満(くぼしゅんまん)らがおり、北尾派の祖として一派を形成した。

[小林 忠]


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改訂新版 世界大百科事典 「北尾重政」の意味・わかりやすい解説

北尾重政 (きたおしげまさ)
生没年:1739-1820(元文4-文政3)

浮世絵師。紅翠斎,花藍などと号した。鈴木春信が没し,鳥居清長が浮世絵画壇を席巻するまで,磯田湖竜斎,勝川春章とともに浮世絵美人画の世界を支えた。黄表紙などの版本挿絵類にも縦横の才をふるい,挿絵画工の画料が高くなったのは重政のおかげと《海録》(山崎美成著)はいう。指導力もすぐれ,北尾派をつくり,政演(まさのぶ)(山東京伝),政美(鍬形蕙斎(くわがたけいさい)),窪俊満(くぼしゆんまん)らの偉材を育てた。
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百科事典マイペディア 「北尾重政」の意味・わかりやすい解説

北尾重政【きたおしげまさ】

江戸後期の浮世絵師。俗称久五郎,のち佐助。花藍と号した。ふくよかで気品のある美人画で評判をとり,北尾派を開いた。門下に北尾政美(鍬形【けい】斎),北尾政演(山東京伝),窪俊満(くぼしゅんまん)らの俊秀が出た。
→関連項目蔦屋重三郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北尾重政」の解説

北尾重政(初代) きたお-しげまさ

1739-1820 江戸時代中期-後期の浮世絵師。
元文4年生まれ。生家は江戸の版元須原屋。絵本などで独習し,美人画の一派,北尾派をひらく。錦絵「東西南北之美人」などのほか,おおくの絵本,挿絵本がある。門人に北尾政美(まさよし),窪俊満(くぼ-しゅんまん)ら。文政3年1月24日死去。82歳。本姓は北畠。別号に紅翠斎,花藍など。

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世界大百科事典(旧版)内の北尾重政の言及

【忠臣水滸伝】より

…読本(よみほん)。山東京伝作,北尾重政画。前編は1799年(寛政11),後編は1801年(享和1)刊。…

※「北尾重政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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