吉野上村
よしのかみむら
[現在地名]満濃町吉野
土器川と金倉川に挟まれた平地と土器川左岸で金倉川の源流域になっている丘陵部に位置する。良野とも書く。南部の黄金山・御殿丘・高屋原から満濃池東の龍頭に続く丘陵地帯はかつての古墳地帯で、八幡の微高地にある八幡神社の境内から袈裟襷文の銅鐸の破片が出土している。五毛集落の池地になっている神社跡からは弥生中期の土器と石器の破片が採取され、満濃池地の北部も古墳が多かった地帯である。「和名抄」那珂郡良野郷の遺称地。中世の良野郷は鎌倉中頃には上野国新田岩松氏の所領となり、弘安五年(一二八二)一一月一二日、岩松時兼娘真阿尼(とち御前)が親父らの譲状を添え一子藤原土用王御前(尼妙蓮)に出した譲状案(正木文書)に讃岐国「よしのゝかう」がある。建武元年(一三三四)一二月二一日の尼妙蓮譲状(同文書)で養子直国に譲られ、再び岩松惣領家の所領となっている。一方、嘉元四年(一三〇六)の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)の讃岐国分に行種が知行主の良野郷・良野新名がみえる。兵庫県宍粟郡安富町水尾神社蔵の暦応元年(一三三八)一〇月一三日の棟札銘に「勧進讃岐良野郷比丘仏阿」とあり、天文一四年(一五四五)七月吉日の道者職売券(来田文書)に「吉野里一円」がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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