日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉野信次」の意味・わかりやすい解説
吉野信次
よしのしんじ
(1888―1971)
商工官僚、政治家。宮城県出身。政治学者吉野作造の弟。1913年(大正2)東京帝国大学独法科卒業。農商務省に入り、1931年(昭和6)商工次官となる。東北興業総裁などを経て、1937年6月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣商工相となる。賀屋興宣(かやおきのり)蔵相らと経済統制を進め、戦時経済本格化への道を開いた。また1937年2月の国策研究会創立にかかわり、革新官僚として名をはせた。1938年満州重工業開発会社副総裁、貴族院勅選議員。1943年愛知県知事。第二次世界大戦後、公職追放となる。1953年(昭和28)参議院議員に当選し、1955年第三次鳩山一郎(はとやまいちろう)内閣の運輸相となる。のち武蔵(むさし)大学学長。著書に『おもかじとりかじ』『さざなみの記』がある。
[小田部雄次]
『吉野信次追悼録刊行会編・刊『吉野信次』(1974)』
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