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革新官僚 かくしんかんりょう

大辞林 第三版の解説

かくしんかんりょう【革新官僚】

新官僚に後続して登場した一連の革新的・親軍的経済官僚の称。日中戦争の全面化とともに、企画院にあって経済統制・総動員計画などを立案・推進。

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世界大百科事典 第2版の解説

かくしんかんりょう【革新官僚】

第2次大戦期に,総力戦のための国内体制再編を推進した官僚勢力,とくに新官僚に後続して登場,企画院にあって,戦時統制の計画,立案にあたったグループを指す場合が多い。満州事変後,親軍的な官僚層の勢力が増大するとともに,統制強化の動きが各方面に広がり,とくに農山漁村経済更生運動選挙粛正運動などの新たな組織化が注目されたが,こうした官僚主導型の政治改革を意図するグループが〈新官僚〉と呼ばれるようになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

革新官僚
かくしんかんりょう

1937年(昭和12)10月創設の企画院を拠点に、強力な戦時経済統制の実現を図った官僚勢力。逓信(ていしん)省から、企画院の前身である内閣調査局に入った奥村喜和男(きわお)らが電力国家管理法案を起案・推進したことから、にわかに注目を浴びた。38年3月の第73議会で、国家総動員法案と電力国家管理法案がともに通過、成立したため、経済の国家統制について、財界と軍部、革新官僚の対立が表面化した(たとえば同年秋の総動員法第11条、利潤統制の発動問題など)。この対立は、40年7月、第二次近衛文麿(このえふみまろ)内閣成立直後の経済新体制問題において頂点に達した。企画院総裁星野直樹(なおき)の下で、奥村のほか、美濃部洋次(みのべようじ)、迫水久常(さこみずひさつね)、毛里英於菟(もうりひでおと)らが、私企業に対する直接の官僚統制を意味する経済新体制確立要綱の立案にあたり、財界の自主統制案と激しく抗争した。彼らは、戦時体制下において、軍部の志向する総動員体制の確立に呼応した官僚勢力であったが、結局財界などの強い反対にあい、そのプランを実現することができなかった。[芳井研一]

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世界大百科事典内の革新官僚の言及

【右翼】より

…観念右翼には国本社建国会,血盟団,神兵隊,大日本生産党,大東塾など,革新右翼には経倫学盟,日本国家社会党,新日本国民同盟,日本革新党など,中間派には東方会,大日本青年党,国粋大衆党などがあったが,中間派は思想上の立場からいえば革新右翼に分類することも可能である。これらの右翼団体の多くは軍部内のファッショ的革新派や革新官僚と結びついていたが,観念右翼は皇道派に,革新右翼と中間派の多くは統制派に親近感をいだいていた。テロをともなう彼らの運動は,満州事変前後から活発化したが,多くは大衆的基盤が弱く,理論性に乏しく,非合法活動に走った場合には弾圧されるなど,全体としては政治のファッショ化を促進する役割を果たしたにとどまった。…

【新官僚】より

…大正後期から,青年団運動,選挙粛正運動などを推進するなかで,一定の連携をつくりあげてきた勢力であり,国維会はその背後にある組織として注目された。内閣調査局は新官僚の拠点と評されたが,それが日中戦争の拡大とともに企画院に拡大されるにしたがって,より若い勢力が〈革新官僚〉と呼ばれるようになった。【古屋 哲夫】。…

※「革新官僚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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