同慈寺跡(読み)どうじじあと

日本歴史地名大系 「同慈寺跡」の解説

同慈寺跡
どうじじあと

[現在地名]大分市大手町三丁目

大分城址公園の西方、江戸時代の府内城三の丸にあった臨済宗寺院。神護山と号し、本尊薬師如来。もと荏隈えのくま五丁津留ごちようづる(現羽屋地区)にあり荒廃していたが、大友氏泰が現跡地に移して再建、京から大同禅師を招請して開基とした。延徳三年(一四九一)大友政親が修飾を開始して明応二年(一四九三)完成、没後一〇〇余年の大智だいち寺開山独芳を中興の祖としたという(雉城雑誌)。文亀元年(一五〇一)一二月一三日の賀来社遷宮等次第記(柞原八幡宮文書)によると、御簀縁および懸緒一間と釣緒付金物三個を勤仕している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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