名之内村(読み)なのうちむら

日本歴史地名大系 「名之内村」の解説

名之内村
なのうちむら

[現在地名]額田町桜形さくらがた

村域東部で毛呂けろ川がおと川に合流し、富尾とんびゆう村より南下する乙川支流の渓流も村域内で合流する。乙川右岸の河岸段丘沿いに作手中つくでなか道が通り、集落も街道沿いに立地。東は下毛呂しもけろ村、西は麻生あそう村、東南は竹沢連たけざわれ村、北は小楠おぐす村と各々山で接し、北西は乙川で対岸柳田やないだ村と接する。

比志賀ひしか郷の中心で、鎌倉末期は高右衛門尉師氏領。永仁四年(一二九六)に高心仏(師氏)より稲荷女房に譲渡され、総持そうじ寺領に寄進された。その後、奥平氏家譜(生田家文書)によると宝徳三年(一四五一)生れで天文四年(一五三五)没の奥平貞昌が文明年間(一四六九―八七)日近ひちか郷名之内に移るとあり、貞昌は永正年間(一五〇四―二一)作手(現南設楽郡作手村)に移り、子の奥平貞友を日近城に残すとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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