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名生城 みょうじょう

日本の城がわかる事典の解説

みょうじょう【名生城】

宮城県大崎市(旧古川市)にあった南北朝時代から戦国時代の城。江合川西岸の段丘の上に築かれていた。大崎5郡を領地とした、戦国大名大崎氏の城で、南北朝時代の1351年(観応2/正平6)に、斯波(大崎)家兼が築城したともいわれるが、はっきりしたことはわからない。1590年(天正18)、豊臣秀吉による奥州仕置で、秀吉家臣の木村吉清の属城となり、翌年の葛西大崎一揆で一揆側に奪われたが、蒲生氏郷(がもううじさと)によって一揆は鎮圧され、城は奪還された。一揆鎮圧後、伊達政宗(だてまさむね)が一揆勢と通じているのではないかと警戒した氏郷が立て籠もった城としても知られる。当時、政宗は秀吉から葛西大崎一揆への関与を疑われていた。その後、伊達家は、秀吉から旧大崎・葛西領への国替えを命じられる。これに先立ち、政宗に引き渡す岩出山城(大崎市)の改修を行った徳川家康が、その途中、名生城に立ち寄った記録があるが、その後、史料には同城の名前がまったく現れなくなる。このころ廃城になったとも考えられる。現在、城跡の大部分は宅地や水田になっている。1980年(昭和55)の発掘調査で、幅約9m、深さ約3.5m程のV字形の溝が発見されるなど、当時の名生城の様子がわかり始めてきている。現地の案内板は、大館(本丸)、内館、小館、北館、二ノ構、三ノ構、軍議評定丸の7郭より構成される大きな城だったことを記している。なお、同地には国指定史跡になっている名生館官衙(かんが)遺跡がある。

出典|講談社日本の城がわかる事典について | 情報

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