名護間切(読み)なぐまぎり

日本歴史地名大系 「名護間切」の解説

名護間切
なぐまぎり

現在の名護市西部に位置した間切。国頭方に属する。北は本部むとうぶ間切・今帰仁なちじん間切、東は羽地はにじ間切・久志くし間切、南は金武ちん間切、南西恩納うんな間切に接し、西は名護なご湾に面する。首里から名護間切番所のある名護村まで一四里三二町余(里積記)。「琉球国由来記」「球陽」などには名護郡・名護県ともみえる。「海東諸国紀」に「那五」、首里城にあった嘉靖四一年(一五六二)の君誇之欄干之記(琉球碑文記)に「那古」、「おもろさうし」および万暦二五年(一五九七)九月大吉日の浦添城前の碑に「なこ」、「琉球神道記」に「那呉」と記される。地名の意味は、名護湾の波の穏やかな様子、平坦地、砂浜で波の音の和やかなところなど諸説がある。「おもろさうし」には、名護間切関係地名として「なこのうら(名護の浦)」「きせのうら(喜瀬の浦)」「なこさかい(名護境)」「あわ(安和)」「やふ(屋部)」などがみえる。

〔所属村の変遷〕

絵図郷村帳によると、名護間切所属の村は現名護市域のきせ村(喜瀬村)・かうき村(幸喜村)・久田村(許田村)・よふけ村(世富慶村)・すくた村(数久田村)名護なぐ村・宮里なーざとう村、うむさ村(宇茂佐村)・屋ぶ村(屋部村)・あわ村(安和村)・山によは村(山入端村)・おほら村(大浦村)・せたけ村(瀬嵩村)・てま村(汀間村)・あぶ村(安部村)・かやう村(嘉陽村)・てぎな村(天仁屋村)、現ひがし村のあるめ村(有銘村)・けさす村(慶佐次村)平良てーら村・川田かーた村の二一ヵ村で、ほかに「当時無之」(享保二一年当時は存在しないの意)と注記されるぐしく村・いだ村・上おほら村、かねく村(大兼久村か)・かてかる村・はま村の六ヵ村が記されている。康熙一二年(一六七三)の久志間切創設の際、名護間切の一〇ヵ村が割かれたが(「球陽」尚貞王五年条)、これは東海岸に位置する大浦うぷら瀬嵩しだき汀間ていーま安部あぶ嘉陽はよー天仁屋ていんな有銘あるみ慶佐次ぎさし平良川田の村々であった。「琉球国由来記」では、名護間切の所属村として喜瀬きし幸喜ほーき許田ちゆーだ世富慶ゆつき数久田しつた・名護・宮里・宇茂佐うんさ屋部やぶ山入端やんぱー安和あーの一一ヵ村が記される。名護村は通称名護三箇なぐさんかといわれる東江あがり大兼久ぽーがにく・城の三ヵ村で構成され、近世末には一三ヵ村となっている。

〔惣地頭の系譜〕

名護間切の惣地頭は、康熙六年尚質王の三子朝元が任じられ、以後その子孫が名護間切惣地頭(按司地頭)を継いだ(向姓家譜・「名護六百年史」)。名護按司家禄高一五〇石・物成四九石余・作得一七石余であった(琉球藩雑記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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