日本歴史地名大系 「名護間切」の解説
名護間切
なぐまぎり
現在の名護市西部に位置した間切。国頭方に属する。北は
〔所属村の変遷〕
絵図郷村帳によると、名護間切所属の村は現名護市域のきせ村(喜瀬村)・かうき村(幸喜村)・久田村(許田村)・よふけ村(世富慶村)・すくた村(数久田村)・
〔惣地頭の系譜〕
名護間切の惣地頭は、康熙六年尚質王の三子朝元が任じられ、以後その子孫が名護間切惣地頭(按司地頭)を継いだ(向姓家譜・「名護六百年史」)。名護按司家禄高一五〇石・物成四九石余・作得一七石余であった(琉球藩雑記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報