中国,明の太祖が1397年(洪武30)発布した6項目の聖諭,すなわち六諭に対する解説書。明末ごろの人,会稽(浙江省紹興市)の范鋐(はんこう)(字は声皇あるいは縉雲)が著した。その内容は,〈父母に孝順なれ〉〈長上を尊敬せよ〉〈郷里に和睦せよ〉〈子孫を教訓せよ〉〈各おの生理(職業)に安んぜよ〉〈非為(非行)を為すなかれ〉という六諭ごとに解説をほどこし,関係する律令の条文を引き,故事,実例や詩をも加えて,一般にわかりやすくした民衆用の道徳教科書である。元来六諭は,郷村で老人や不具者などに命じて毎月6回,木鐸(ぼくたく)を鳴らして路傍で唱えさせていたものであるが,さらに実効を期するために,衍義,訓解などの解説書が作られて,毎月の1日・15日に,あるいは各種の会合で講話が行われ,学校では児童に暗誦させた。《六諭衍義》は,1708年(康熙47),琉球の人,程順則(1663-1734)によって福州で翻刻され,それが日本にも伝わり,1721年(享保6),将軍徳川吉宗の命により荻生徂徠が訓点をほどこして出版し,さらに翌年,室鳩巣が大意を和解した《六諭衍義大意》が出され,以後,各藩に流布し,何種類かの和解本が続出し,日本の民衆道徳に大きな影響を与えた。
執筆者:坂出 祥伸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、明(みん)末清(しん)初期の人と推定される浙江(せっこう)省会稽(かいけい)の范鋐(はんこう)が、六諭のいっそうの普及を図って、平易な口語を用いて「六諭」に解説を施したもの。民衆の道徳教戒(きょうかい)の書としてかっこうのものとみなされて、日本にも江戸期に流入し、翻刻されて一般に流布した。口語で書かれているため、それに通じていた荻生徂徠(おぎゅうそらい)の解読を経るなどの経緯により、わが国の中国口語研究史上にも名をとどめている。
[溝口雄三]
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