日本大百科全書(ニッポニカ) 「向坂甚内」の意味・わかりやすい解説 向坂甚内こうさかじんない(?―1613) 江戸初期の大盗賊。向崎、勾崎、高坂とも書く。巷説(こうせつ)に宮本武蔵(むさし)の弟子とあるが、生地、経歴ともに詳細は不明。浪人、盗賊退治に力を入れていた幕府の命で、大泥棒の甚内自身、関八州の強盗の取締りを委嘱されていた。1613年(慶長18)本人も逮捕され、引廻(ひきまわ)しのうえ磔刑(たっけい)に処せられた。江戸っ子には親しまれ、マラリアを病んでいた甚内にちなみ瘧(おこり)を治す神様として祠(ほこら)と甚内橋跡碑が、処刑地に近い東京都台東(たいとう)区浅草橋3丁目に現存する。[稲垣史生] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「向坂甚内」の解説 向坂甚内 こうさか-じんない ?-1613 江戸時代前期の盗賊。宮本武蔵(むさし)の弟子ともいわれる。江戸の泥棒の首領となりながら幕府から盗賊の取り締まりを委嘱されるが,慶長18年甚内自身捕らえられ,同年8月12日鳥越で処刑された。姓は高坂,幸坂ともかき,勾崎(こうさき)ともいう。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例