宮本武蔵(読み)みやもとむさし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宮本武蔵
みやもとむさし

[生]天正12(1584).播磨/美作
[没]正保2(1645).5.19. 肥後
江戸時代初期の剣客,画家。出自については確説がなく,新免無二斎の養子または子。母の家を継ぎ,宮本武蔵義恒または玄信 (政名?) と名のった。号は二天。若年より諸国をめぐって武者修行に励み,二刀流を案出して二天一流剣法の祖となった。佐々木小次郎との試合をはじめ生涯 60回あまりの勝負に一度も負けたことがないと伝えられ,晩年は肥後藩主細川忠利に仕えた。自著五輪書』は武道の奥義を記した兵法書として有名。余技として絵筆をとり,十数点の水墨画の遺品がある。禽鳥類の描写を得意とし,その筆法は宋元画の減筆体根底にして剣客らしい覇気に満ちている。絵のほか書にも優れたものがある。主要作品『枯木鳴鵙図 (こぼくめいげきず) 』 (久保惣記念美術館) ,『鵜図』 (永青文庫) ,『布袋観闘鶏図 (ほていとうけいをみるのず) 』。

宮本武蔵
みやもとむさし

吉川英治の長編時代小説。 1935~39年,『朝日新聞連載。さまざまな試練を経て剣禅一如の哲人に成長していく宮本武蔵を描いて,多くの読者を集め日本の国民文学という評価を得ている。

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デジタル大辞泉の解説

みやもと‐むさし【宮本武蔵】

[1584ころ~1645]江戸初期の剣術家。播磨(はりま)あるいは美作(みまさか)の人。名は玄信。号、二天。剣の修行のため諸国を巡り、二刀流を編み出し、二天流と称した。佐々木巌流との試合に勝ち、晩年は一時熊本藩主細川家に仕えた。水墨画にも長じた。五輪書」。
吉川英治の時代小説。武者修行に出たの成長を描く。昭和10~14年(1935~1939)に「朝日新聞」で連載された。昭和29年(1954)、稲垣浩監督により映画化され、第28回アカデミー賞にて外国語映画賞名誉賞受賞。
川村晃による評伝。昭和59年(1984)、成美堂出版の「物語と史蹟をたずねて」シリーズの1作として刊行

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百科事典マイペディアの解説

宮本武蔵【みやもとむさし】

江戸初期の剣客。名は政名。二天一流剣法の伝記は必ずしも明らかではないが,幼少から兵法を心がけ,青年期に二刀流を案出,諸国を遍歴し,巌流(がんりゅう)島で佐々木小次郎と決闘して勝ったことは有名。晩年,肥後(ひご)熊本藩主細川家の客分となり,《五輪書》を著した。水墨画をよくし,《枯木鳴鵙(げき)図》《鵜図》などの作品がある。
→関連項目大原[町]宮本武蔵

宮本武蔵【みやもとむさし】

吉川英治の長編小説。1935年―1939年,《朝日新聞》に連載。沢庵との出会い,お通との純愛をとおして人間的に成長し,やがて求道者として剣禅一如の境地をめざす宮本武蔵の姿を描く。吉川英治の代表作。
→関連項目片岡千恵蔵徳川夢声

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宮本武蔵 みやもと-むさし

1584-1645 江戸時代前期の剣術家。
天正(てんしょう)12年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)または美作(みまさか)(岡山県)の人で,父は一説に新免無二斎。二天一流をひらく。生涯六十余度の試合に不敗をほこり,吉岡一門,佐々木小次郎との決闘が名だかい。晩年は肥後熊本藩の客分となった。水墨画にもすぐれ,代表作に「枯木鳴鵙(こぼくめいげき)図」など。正保(しょうほ)2年5月19日死去。62歳。名は玄信。号は二天。著作に「五輪書」など。
【格言など】我(われ)事において後悔せず(「独行道」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

宮本武蔵

没年:正保2.5.19(1645.6.13)
生年:天正12(1584)
江戸前期の剣客。二刀流(円明流,二天一流,宮本流)の開祖。名は玄信,号は二天。生年は『五輪書』序文から逆算した天正12(1584)年説のほかに養子伊織の作成した『宮本家系図』による同10年説がある。生地も美作国吉野郡讃母村字宮本(岡山県英田郡大原町宮本)のほかに播州(兵庫県)説もある。父は平田武仁(無二斎)。母は新免宗貞の娘於政と別所林治の娘率子の2説がある。剣道史上著名な剣客だけに,実録,小説,劇,映画などによってヒーロー像が創られてきたが,前半生の事績には不明な部分が多い。幼少のころから兵法に心がけ,13歳ではじめて新当流の有馬喜兵衛と試合して勝ち,以後六十余たびの勝負に一度も負けたことはなかった。慶長17(1612)年に舟島(巌流島=下関市)で佐々木小次郎と決闘したのち,大坂両陣に参戦,その後諸国を遍歴し,事績が明らかになるのは寛永11(1634)年,51歳以後である。 小倉藩主小笠原忠真の客分となり,島原の乱に際しては養子伊織と共に軍監として出陣する。57歳のとき肥後熊本藩主細川忠利の知遇を得て,客として熊本千葉城址に住み『兵法三十五箇条』をまとめ,60歳で熊本西郊岩戸山の霊巌洞にしばしば籠り,座禅三昧の暮らしを送り,兵法伝書『五輪書』を執筆した。『五輪書』は二天一流の剣の道をつづるとともに剣禅一如の思想的境地をしめす著作だった。さらに『独行道十九条』をまとめ自戒とした。その1週間後した。熊本市竜田町弓削の武蔵塚がその墓とされる。武蔵は剣のほかに書,画,金工などにもすぐれ,非凡な才をしめした。特に水墨画には気魄のこもった鋭い表現がみられ武人画家の最後を飾る。代表作に『鵜図』『芦雁図』『枯木鳴鵙図』などが伝えられる。<参考文献>森銑三『宮本武蔵の生涯』,岡田一男・加藤寛編『宮本武蔵のすべて』

(尾崎秀樹)

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デジタル大辞泉プラスの解説

宮本武蔵

1944年公開の日本映画。監督:溝口健二原作菊池寛脚色川口松太郎、撮影:三木滋人。出演:河原崎長十郎田中絹代、中村翫右衛門ほか。

宮本武蔵

吉川英治の長編歴史小説。代表作のひとつ。1935~39年、朝日新聞に連載。剣豪・宮本武蔵の成長を描く、大衆小説の代表作。市川新之助(市川海老蔵主演のNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」(2003)、役所広司主演のNHK新大型時代劇「宮本武蔵」(1984-85)の原作。その他映画化されたものとして、片岡千恵蔵主演シリーズ五部作(1940-43)、三船敏郎主演三部作(1954-56)、中村錦之助主演シリーズ五部作(1961-65)、高橋英樹主演の同名映画(1973)がある。

宮本武蔵

司馬遼太郎の長編歴史小説。

宮本武蔵

1961年公開の日本映画。監督:内田吐夢、原作:吉川英治による同名小説、脚色:成澤昌茂、鈴木尚之、撮影:坪井誠。出演:中村錦之助、風見章子、入江若葉、木村功浪花千栄子、阿部九洲男、三國連太郎ほか。

宮本武蔵

1954年公開の日本映画。監督・脚本:稲垣浩、原作:吉川英治、脚本:若尾徳平。出演:三船敏郎、三國連太郎、尾上九朗右衛門、水戸光子、岡田茉莉子、八千草薫ほか。第28回アカデミー賞名誉賞受賞。

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世界大百科事典 第2版の解説

みやもとむさし【宮本武蔵】

1584‐1645(天正12‐正保2)
江戸時代初期の剣豪。二天一流(円明流,武蔵流ともいう)剣法の祖。《五輪書》の著者。二天と号した。日本の剣道史上最も著名な剣豪の一人で,小説,舞台,映画などにもなっているが,伝記については必ずしも明らかではない。出生地についても,播磨(兵庫県)の宮本村説と美作(岡山県)吉野郡宮本村説がある。《五輪書》では播州の出生とする。父(養父とも)は新免無二斎。《五輪書》によれば,武蔵は幼少のころから兵法を心がけ,13歳ではじめて試合をして勝ち,28~29歳まで60余度の試合に一度も負けなかったといわれる。

みやもとむさし【宮本武蔵】

剣豪宮本武蔵を主人公にした,吉川英治の長編小説。1935‐39年東京・大阪の両《朝日新聞》に連載。全6冊として36‐39年刊。青年武蔵(たけぞう)が功名心に燃えて幼友達の又八とともに関ヶ原合戦に参加し敗北を体験するところから始まり,沢庵を導師として人間的に開眼,剣禅一如の境地を求めて歩みつづけ,佐々木小次郎との船島(巌流島)での運命的な対決にいたる。お通との純愛,吉岡一門との決闘など小説のおもしろさをたっぷりと盛り込みながらも,柳生石舟斎や本阿弥光悦らとの出会いを通して武蔵の人間形成をたどっており,一種の成長小説としても読まれる。

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精選版 日本国語大辞典の解説

みやもとむさし【宮本武蔵】

小説。吉川英治作。昭和一〇~一四年(一九三五‐三九)発表。故郷をあとにした一七歳の武蔵が、周防国(山口県)船島で佐々木小次郎と対決するまでの波瀾に満ちた半生を描く。剣禅一如を理想とする武蔵の求道精神は広く当時の人々の共感を呼んだ。

みやもと‐むさし【宮本武蔵】

江戸初期の剣豪。名は玄信のほか、政名、義恒などが伝わる。二天と号す。平田(新免)無二斎武仁の子。美作国または播磨国の生まれという。若年から諸国を修行し、生涯六〇余回の勝負に一度も敗れたことがなかったといわれ、巖流島で佐々木小次郎を倒したことは名高い。二刀による剣法を工夫し、「二天一流」を創始、武道の奥義を説く「五輪書」を著わした。絵画や彫刻にもすぐれ、「枯木鳴鵙(めいげき)図」などが伝えられている。天正一二~正保二年(一五八四‐一六四五

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典の解説

宮本武蔵
みやもとむさし

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治27.6(東京・真砂座)

宮本武蔵
(通称)
みやもとむさし

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
敵討厳流島 など
初演
元文2.夏(大坂・あやめ座)

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

宮本武蔵
みやもとむさし

1584〜1645
江戸初期の兵法家・剣術家・画家
出身は美作 (みまさか) (岡山県)英田 (あいだ) 郡宮本村の豪士といわれる。実像は詳らかではないが,二天一流(二刀流)を開き,巌流 (がんりゆう) 島の決闘をはじめ,剣術の達人として後世の実録・芝居講談などによって広く知られる。二天と号し,著書に『五輪書』『極意書』『自戒書』などがある。また水墨画にも名品を残した。

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世界大百科事典内の宮本武蔵の言及

【明石[市]】より

…城の南,中堀と外堀の間に侍屋敷が作られ,その南に城下町が建設された。姫路藩本多氏の客臣宮本武蔵玄信の町割図に従って,東は京口門から西は姫路口門までの西国街道沿い9丁19間半の間に,鍛冶屋町,細工町,東西魚町,東西本町,信濃(中)町,明石町,東西樽屋町の10町が造られ,明石湊が掘削された。そのために大蔵谷,中ノ庄,大明石3村の農地630石余がつぶされ,池野村は城地となったために伊川の北に移された。…

【大原[町]】より

…国道373号線が通じる。南東部の宮本は宮本武蔵の生誕地といわれる。【上田 雅子】。…

【五輪書】より

…江戸初期の兵法書。二天一流の流祖宮本武蔵の著。仏教の〈五大〉,地水火風空にかたどって5巻に分かれ,地の巻は兵法の大意,水の巻は兵法の利,火の巻は合戦の理,風の巻は他流の評論,空の巻は兵法の奥義について述べている。…

【佐々木小次郎】より

…生没年不詳。小説や映画で宮本武蔵と決闘することで有名であるが,実像には不明な点が多い。流名が〈巌流(がんりゆう)〉であるところから,小次郎のことを巌流とも呼ぶ。…

【徳川夢声】より

…東京府立一中を卒業後,無声映画時代に映画説明者(いわゆる活弁)となり,気のきいた説明で欧米映画の名説明者として知られていた。トーキー時代になって失業,しかし,漫談や放送(ラジオ)芸能に転向して,吉川英治の《宮本武蔵》の朗読などで,人気を得た。また俳優としても〈笑いの王国〉〈文学座〉などに出演して,卓抜な演技を見せた。…

【轟夕起子】より

…都留子の名をもじったトルコの愛称で親しまれ,人気も絶頂に達した37年に,日活に引き抜かれて映画に転向した。 吉川英治原作の《宮本武蔵》の最初の映画化(1937)がデビュー作で,片岡千恵蔵の武蔵を相手にかれんなお通の役を演じ,トルコに代わってお通さんの愛称でたちまち人気スターになった。しがない老サラリーマン(小杉勇)のやさしく明るい娘を演じた《限りなき前進》(1937)から《キャラコさん》(1939),《暢気眼鏡》(1940)などをへて,杉浦幸雄が轟夕起子その人をモデルにして描いたというホームコメディ的な人気連載漫画の映画化《ハナ子さん》(1943,主題歌《お使ひは自転車に乗って》も歌って大ヒットした)に至るまで,〈天性の明るさ〉を持ち味にした明朗ではつらつとした娘役が専門の彼女であったが,のち,40年に結婚(1950年離婚)したマキノ正博監督による,田村泰次郎の〈肉体文学〉の映画化で主題歌《あんな女と誰が言う》も歌って大ヒットした《肉体の門》(1948)の娼婦関東小政や,谷崎潤一郎のベストセラー小説の映画化《細雪》(1950)の次女幸子といった異色のキャラクターを演じた。…

【吉川英治】より

…毎夕新聞社に入り,《親鸞記》ほかを連載したが関東大震災で辞し,講談社系諸雑誌にいくつもの筆名で作品を発表,《キング》の創刊号(1925年1月)から連載した《剣難女難》以後,吉川英治を名乗った。初期の作品は《神変麝香猫》《鳴門秘帖》など伝奇性に富む時代ロマンが多く,大衆文学の草創期を飾ったが,1930年ころから新たな模索に入り,《かんかん虫は唄ふ》《松のや露八》を経て《宮本武蔵》(1936‐39)に到り,国民文学へ向かう可能性を示した。戦中から戦後へかけて《新書太閤記》《三国志》《新・平家物語》《私本太平記》をまとめ広く読まれた。…

※「宮本武蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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