向野堅一(読み)コウノ ケンイチ

20世紀日本人名事典 「向野堅一」の解説

向野 堅一
コウノ ケンイチ

明治〜昭和期の実業家 奉天商業会議所副会頭。



生年
慶応4年9月4日(1868年)

没年
昭和6(1931)年9月17日

出生地
筑前国直方(福岡県直方市)

経歴
上海の日清貿易研究所で学び、明治26年卒業。日清戦争時に陸軍通訳官として特別任務に従い、戦後は台湾征討軍に従軍。29年北京に筑紫洋行を開いて日本公使館の用達業を営む。北清事変(義和団事件)で北京の家財を失うなどの災禍にあったが陸軍派遣軍調達に尽力日露戦争時に奉天(現・瀋陽)に移り兵站部に貢献、戦後39年茂林洋行を設立。石炭販売、ガラス製造、貸家業を営み奉天実業界での地歩を築き、大正6年から6年間奉天商業会議所副会頭を務めた。その他、瀋陽建物専務、正隆銀行取締役、奉天連合町内会長などを歴任し、満州財界を指導した。向野晋編「向野堅一従軍日記」(私家版)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「向野堅一」の解説

向野堅一 こうの-けんいち

1868-1931 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応4年9月4日生まれ。上海の日清(にっしん)貿易研究所を卒業。日清戦争で陸軍通訳官をつとめる。日露戦争では軍需品確保,輸送にあたり,明治39年奉天(現瀋陽)で茂林洋行を設立。大正6年奉天商業会議所副会頭。昭和6年9月17日死去。64歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「向野堅一」の解説

向野 堅一 (こうの けんいち)

生年月日:1868年9月4日
明治時代-昭和時代の実業家
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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