和佐保銀山(読み)わさぼぎんざん

日本歴史地名大系 「和佐保銀山」の解説

和佐保銀山
わさぼぎんざん

[現在地名]神岡町和佐保

和佐保銀山の開発は、茂住もずみ銀山同様、江戸時代初期とされるが、それ以前を検証できる史料はきわめて乏しい。高原諏訪たかはらすわ城跡の付属構築遺構から、室町時代中・後期に開発の起源を求める説もある。正徳二年(一七一二)の和佐保銀山間歩数は一一ヵ所、そのころ稼行されていたのは三ヵ所、金山師八三人、銅山とも家数一九軒、享保六年(一七二一)代官の引渡帳には銀山間歩数一八ヵ所、稼行中のもの五ヵ所、間歩数も不明となっている年久しい捨り古間歩三ヵ所とある(神岡鉱山史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の和佐保銀山の言及

【神岡鉱山】より

…一部で露天採掘も行われるが,高度に機械化された大規模な方式で坑内採掘が行われている。【山口 梅太郎】
[沿革]
 16世紀末,現在の神岡鉱山の中心鉱区にあたる和佐保銀山および茂住銀山が発見・稼行された。初期には金・銀の産出が中心であったが,18世紀前半ころより銅・鉛の産出が中心になった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」