神岡鉱山(読み)カミオカコウザン

デジタル大辞泉 「神岡鉱山」の意味・読み・例文・類語

かみおか‐こうざん〔かみをかクワウザン〕【神岡鉱山】

岐阜県飛騨市、神通川上流の高原川東岸にあった鉱山。天正年間(1573~1592)から産出し、のち亜鉛を主とした。廃液から、神通川下流にイタイイタイ病が発生。平成13年(2001)採掘を中止した。
[補説]現在は跡地素粒子観測装置スーパーカミオカンデ反ニュートリノ検出装置カムランド暗黒物質検出装置XMASSエックスマス重力波望遠鏡KAGRAかぐらなどが設置されている。

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共同通信ニュース用語解説 「神岡鉱山」の解説

神岡鉱山

奈良時代に鉛や亜鉛の鉱脈が発見され、1874年に三井財閥前身の三井組が経営を始めた。亜鉛の製錬過程で排出されたカドミウムが下流の富山県・神通川流域を汚染し、公害病イタイイタイ病の原因となった。鉱脈が枯渇したため、2001年に採掘が中止。現在は神岡鉱業が現地で亜鉛などの製錬事業を行っている。採掘跡には、ニュートリノ検出装置スーパーカミオカンデが建設された。

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精選版 日本国語大辞典 「神岡鉱山」の意味・読み・例文・類語

かみおか‐こうざんかみをかクヮウザン【神岡鉱山】

  1. 岐阜県飛騨市にあった鉱山。天正年間(一五七三‐九二)に開発され、江戸時代は銀・銅を、のち亜鉛・鉛などを産出した。平成一三年(二〇〇一)、採掘を中止。

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改訂新版 世界大百科事典 「神岡鉱山」の意味・わかりやすい解説

神岡鉱山 (かみおかこうざん)

岐阜県吉城郡神岡町(現,飛驒市)にある鉛・亜鉛鉱山。飛驒片麻岩類中の石灰岩を交代したスカルン鉱床で,多数の不規則塊状の鉱体から成るが,栃洞(とちぼら),円山,茂住(もずみ)などの群に分けることができる。鉱石はセン亜鉛鉱,方鉛鉱を主とするが,とくに上部で銀の含有が高い。一部で露天採掘も行われるが,高度に機械化された大規模な方式で坑内採掘が行われている。
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16世紀末,現在の神岡鉱山の中心鉱区にあたる和佐保銀山および茂住銀山が発見・稼行された。初期には金・銀の産出が中心であったが,18世紀前半ころより銅・鉛の産出が中心になった。19世紀初頭に和佐保銀銅山が一時期御手山(おてやま)(領主の直轄経営)となったが,鉱況は不振であった。1830年代から60年代半ばにかけては,神岡諸坑は著しく興隆したが,幕末には衰退した。維新後,74年に三井組が神岡諸坑の一部を旧鉱業人より買収し,89年には茂住鉱山を三井物産より買収し全山を三井組の経営下においた。三井組は,全山を統一する過程で,1886年には洋式製錬を,88年には機械的比重選鉱法を導入するなど,選鉱・製錬部門を中心に新技術の導入を急速に進めた。しかし,早くも90年には大規模な煙害が発生し,4年間にわたり煙害反対の住民運動が展開された。1922年,神岡鉱山は三井合資会社(翌年,三井合名会社に改組)のもとにおかれた。1897年の金本位制の施行までは,銀の生産を主目的にし,副産物として鉛を生産していたが,1902年以降は鉛の生産が中心となり,さらに05年にはそれまで夾雑物として捨てていた亜鉛鉱石の採掘を開始し,09年に亜鉛選鉱に浮遊選鉱を採用し(日本における浮遊選鉱の嚆矢(こうし)),13年より大牟田で金属亜鉛の生産を開始した。第1次大戦後は,それまでほぼ選鉱・製錬部門に限定されていた機械化を採鉱部門においても推し進めて生産を拡大し,日本最大の鉛・亜鉛鉱山に成長した(現在は三井金属鉱業神岡鉱業)。しかし鉱量の枯渇と金属価格の低迷から,採鉱活動を大幅に縮小し,栃洞坑においてのみ生産が行われた。また採鉱を中止した茂住坑においては,その中心部(地表下1000m)に大空洞を掘削して5万m3の純水タンクを作り,宇宙線を観測する研究施設(東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設)としている。そのほかにも地下プールやトレーニング施設など,地下空間を利用した施設が建設されている。2001年鉱石採掘を中止。一方,生産拡大に際し,亜鉛鉱石に付随しているカドミウムを含む廃水が大量に排出され,その結果1912-13年ころより,神岡鉱山の下流に位置する富山県神通川流域にカドミウムを主原因とするイタイイタイ病が大量に発生しはじめた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「神岡鉱山」の意味・わかりやすい解説

神岡鉱山
かみおかこうざん

岐阜県飛騨市(ひだし)神岡町地区にあった非鉄金属鉱山。亜鉛・鉛・銀などの鉱山としてしられたが、2001年(平成13)閉山した。かつて、その主力をなしていた鉱床は、高原(たかはら)川の右岸に沿う山地に散在する栃洞(とちぼら)、円山(まるやま)、茂住(もずみ)の鉱床群で、なかでも栃洞鉱床群は神岡町の中心地区船津に近く、大小10余の鉱床がみられた。

 鉱山の開発は、天正(てんしょう)年間(1573~1592)に、高山城主金森氏に仕えた茂住宗貞(むねさだ)によって始められたという。とくに和佐保鉱山(わさほこうざん)は慶長(けいちょう)年間(1596~1615)には銀山として盛況であった。1692年(元禄5)飛騨は幕府領となり、鉱山もその支配下に置かれた。1874年(明治7)三井組に買い取られてから、しだいに近代的で大規模な開発が推進され、精錬方法も進歩してきた。とくに第二次世界大戦後、国の高度成長期において、神岡鉱山の発展も画期的であった。日本を代表する非鉄金属鉱山としておもに亜鉛と鉛を産し、ほかに銀、金、蒼鉛(そうえん)、カドミウム、硫酸なども産出してきた。しかし、1970年代後半から亜鉛、鉛の売れ行き不振などで、1978年(昭和53)には第二次合理化計画が実施され、多数の従業員が整理された。1986年からは経営が三井金属鉱業より分離独立した神岡鉱業に移り、2001年(平成13)鉱量の枯渇などの理由で閉山した。1968年には「イタイイタイ病」公害訴訟が起こされている。

 神岡宇宙素粒子研究施設(東京大学宇宙線研究所)があり、茂住坑の地底1000メートルに建設されたニュートリノ(中性微子)観測装置スーパーカミオカンデにより観測を行っている。

[上島正徳]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神岡鉱山」の意味・わかりやすい解説

神岡鉱山
かみおかこうざん

岐阜県飛騨市神岡にある鉱山。神通川上流の高原川流域にあり,三井金属鉱業が経営,2001年まで操業した。養老4(720)年に金を産し天皇に献上したとの口伝がある。天正17(1589)年頃,糸屋彦次郎(のちの茂住宗貞)が鉱脈を発見し,金山奉行として茂住鉱山(もずみこうざん。のちの茂住坑),和佐保鉱山(のちの栃洞坑〈とちぼらこう〉)を経営し,銀,銅を産した。文化 14(1817)年天領御直山となり,1874年三井組が買収,1911年三井鉱山が設立された。鉱床は飛騨片麻岩中の石灰石の一部が交代作用により生成したもので,大小 50個以上の鉱体からなる。日本最大の鉛・亜鉛鉱山だったが,鉱脈が枯渇し安全性の確保が難しくなったことを理由に 2001年採掘が打ち切られた。富山県神通川下流域に発生したイタイイタイ病は本鉱山廃水中のカドミウムが原因であるとされ,1968年に公害病と認定され社会問題となった。鉱山の地下には東京大学宇宙線研究所のニュートリノ観測装置,スーパーカミオカンデが置かれている。

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世界大百科事典(旧版)内の神岡鉱山の言及

【接触交代鉱床】より

…規模は小さいものが多い。岐阜県神岡鉱山の亜鉛・鉛鉱床には,単一の鉱床で約100万tの亜鉛,9万tの鉛,600tの銀を含むものがあり,日本の例では最大級に属する。鉄・銅鉱床の例としては,岩手県釜石鉱山,福島県八茎鉱山などが著名で,釜石鉱山地域では交代作用により生じたスカルンの総量は数億tに達するといわれる。…

※「神岡鉱山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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