和田弘(読み)ワダ ヒロシ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「和田弘」の解説

和田 弘
ワダ ヒロシ


職業
歌手 スティール・ギター奏者

グループ名
グループ名=和田弘とマヒナスターズ

生年月日
昭和6年 2月15日

出生地
東京都 文京区本郷

学歴
専修大学〔昭和24年〕中退

経歴
父は東京・本郷で製本業を営み、二人兄弟の二男として生まれる。小学校低学年の頃にオルガンを買って貰い、学校では放課後独学でピアノを弾いた。戦後ハワイアン音楽に心を奪われ、ついにはスティール・ギターを自作。昭和22年専修大学予科に入学すると、学内バンドのリリーアイランダースに加入、2年生に進むと1人を残して全員卒業したため自らがリーダーとなり、バンドを再編した。この頃、兄の青山学院時代の同級生である浜口庫之助のもとに3ヶ月ほど通い、スティール・ギターの基礎を習った。24年バッキー白片とアロハ・ハワイアンズにサイドギターとして参加、加入に際してリリーアイランダースを解散し、大学も辞めた。28年アロハ・ハワイアンズの山口銀次、鈴木揚介に誘われて脱退し、山口銀次とマヒナスターズに加入し、スティール・ギターを担当。29年山口が抜けたためリーダーとなった。32年ビクターからレコードデビューし、33年初のオリジナル曲「泣かないで」がヒット。裏声を生かした男声コーラスとせつないスティール・ギターの音色の絡み合いで人々の心をつかみ、都会派歌謡にジャズやハワイアンの要素を加えた“ムード歌謡”のコーラスグループの先駆けとして活躍。35年松尾和子と歌った「誰よりも君を愛す」で第2回日本レコード大賞を受賞。多摩幸子との「北上夜曲」、吉永小百合との「寒い朝」、三沢あけみとの「島のブルース」、田代美代子との「愛して愛して愛しちゃったのよ」など若手女性歌手とのデュエット曲でヒットを連発した。39年には広島で採譜した「お座敷小唄」(原曲・陸奥明)をリリース、350万枚を超える大ヒットとなった。他に「お百度こいさん」「花化粧」などのヒットがあり、グループの主要曲は作曲していないものの、テレビの人気番組「番頭はんと丁稚どん」の主題歌などを書いている。

受賞
日本レコード大賞(大賞 第2回)〔昭和35年〕「誰よりも君を愛す」,メガロポリス歌謡祭演歌メガロポリス賞(第8回)〔昭和64年〕,日本レコード大賞(特別功労賞 第46回)〔平成16年〕

没年月日
平成16年 1月5日 (2004年)

伝記
僕の昭和歌謡曲史 泉 麻人 著(発行元 講談社 ’03発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「和田弘」の解説

和田 弘
ワダ ヒロシ

昭和・平成期の歌手,スチールギター奏者



生年
昭和6(1931)年2月15日

没年
平成16(2004)年1月5日

出生地
東京

別名
グループ名=和田弘とマヒナスターズ(ワダヒロシトマヒナスターズ)

学歴〔年〕
専修大学中退

主な受賞名〔年〕
日本レコード大賞(大賞 第2回)〔昭和35年〕「誰よりも君を愛す」,メガロポリス歌謡祭演歌メガロポリス賞(第8回)〔平成1年〕

経歴
戦後、浜口庫之助にスチールギターを師事。バッキー白片とアロハ・ハワイアンズを経て、昭和28年山口銀次とマヒナスターズを結成。29年リーダーとなる。裏声を生かした男声コーラスとせつないスチールギターの音色の絡み合いで人々の心をつかみ、33年「好きだった」「泣かないで」がヒット。都会派歌謡にジャズやハワイアンの要素を加えた“ムード歌謡”のコーラスグループの先駆けで、35年松尾和子と歌った「誰よりも君を愛す」で第2回日本レコード大賞を受賞。多摩幸子との「北上夜曲」、吉永小百合との「寒い朝」、三沢あけみとの「島のブルース」、田代美代子との「愛して愛して愛しちゃったのよ」など若手女性歌手とのデュエット曲でヒットを連発した。また39年明治末から歌われていた座敷歌をアレンジした「お座敷小唄」が200万枚を超える大ヒットとなった。他の代表曲に「お百度こいさん」「花化粧」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android