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三味線音楽の一種。浄瑠璃の味を持たせて歌う長唄。明和(1764-72)のころ富士田吉次(治)が歌い出した新傾向の長唄。それまでの長唄は二上りか三下りを基調としていたのに対し,浄瑠璃の基本である本調子で歌った長唄をさす。内容にも物語的要素が強い。しかし今日のふつうの長唄との区別はつけにくい。代表曲に《吉原雀》(1768),《隈取安宅松(くまどりあたかのまつ)》(1769)がある。その後の長唄の多様化は,唄浄瑠璃の部分を発展させ,また浄瑠璃系でも二上りや三下りを採り入れ,語り方を唄に近づけたので,今日の三味線音楽はすべて唄浄瑠璃的である。なお,〈歌浄瑠璃〉と書いて〈肴(さかな)浄瑠璃〉の別名とする説もあるが,これでは《宮薗新曲集》の作品だけをさすことになる。また遊里で演奏された浄瑠璃をいうとの考えもあるが,そうなると音楽上の分類ではなく演奏形式あるいは場所による分類となって正確ではない。
執筆者:竹内 道敬
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…この時期の長唄唄方には坂田兵四郎,初世松島庄五郎,初世吉住小三郎,三味線方には7代目杵屋喜三郎,初世杵屋新右衛門,初世杵屋弥三郎,初世杵屋忠次郎,囃子方には宇野長七などがいる。明和期(1764‐72)になると,一中節の太夫から転向した初世富士田吉次(治)によって長唄に浄瑠璃の曲節を加えた唄浄瑠璃(例《吉原雀(よしわらすずめ)》《安宅松(あたかのまつ)》)が創始されたり,大薩摩節(おおざつまぶし)との掛合(《鞭桜宇佐幣(むちざくらうさのみてぐら)》)も開始されて,長唄に新機軸を生みだした。また,この時期には9代目市村羽左衛門など立役(男役)にも舞踊の名手が現れ,舞踊は女形の独占芸という慣行が打破された結果,男性的な曲も生まれた。…
…俳名は楓江(ふうこう)。長唄に一中節,豊後節,義太夫節などの曲節を加味した唄浄瑠璃を創始し,さらに大薩摩節(おおざつまぶし)との掛合を始めるなど長唄に新機軸を生み出す。天性の美声で好評を博し,彼の長唄を聞くために観客が集まり,〈見物を呼ぶ唄うたひ古今稀れのものなり〉といわれた。…
※「唄浄瑠璃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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