日本大百科全書(ニッポニカ) 「唱導文芸」の意味・わかりやすい解説
唱導文芸
しょうどうぶんげい
社寺の縁起や仏神の本地(ほんじ)などに関する語物、口頭詞章など、主として教化を目的として伝えられ語り広められていたものが、文芸化されたり草子(そうし)の形をとったりしたもの。室町時代後期から江戸時代初期にかけて輩出した作品群、すなわち御伽(おとぎ)草子のなかにみられる、宗教的な主題をもち語りの形式の残影が認められるもの、幸若舞曲(こうわかぶきょく)・古浄瑠璃(こじょうるり)・浄瑠璃・説経節(せっきょうぶし)など芸能化されたものを含む。唱導とは、本来仏家の用語で、同義語に説法・説経・説教・談義・法座などがあり、説法する人を説教師・講師(こうじ)・導師・説経者・唱導師などとよんだ。中世における唱導説経のようすは、『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』『三宝絵詞(さんぽうえことば)』『往生要集(おうじょうようしゅう)』『言泉集(ごんせんしゅう)』などによってもうかがえる。唱導がもっとも盛行したのは平安時代中期から鎌倉時代にかけてであり、その根幹は藤原通憲(みちのり)(信西(しんぜい))から澄憲(ちょうけん)・聖覚(しょうがく)に受け継がれた安居院(あぐい)流に存した。物語性の濃厚な二十数編の垂迹(すいじゃく)縁起を有する『神道集(しんとうしゅう)』の成立には、この安居院流がなんらかの交渉をもっていたと考えられる。『神道集』は御伽草子の本地物の源泉ともみられるもので、ある特定の信仰が宣伝・布教の手段として寺家で演変されていたのが、修験(しゅげん)・巫女(みこ)・聖(ひじり)・神人(じにん)・唱聞師(しょうもんじ)・陰陽師(おんみょうじ)・兄部(このこうべ)・雑職(ぞうしき)など漂泊・巡歴の唱導者の手にゆだねられ、宗教的文芸として語り広められたのが唱導文芸であり、旅の主題と唱導者の心意とがつねに作品の内容に投影されている。
[徳江元正]
『永井義憲著『日本仏教文学研究 第1集』(1956・古典文庫)』▽『永井義憲著『日本仏教文学研究 第2集』(1967・豊島書房)』▽『永井義憲著『日本仏教文学研究 第3集』(1985・新典社)』