平安末・鎌倉初期の天台宗唱導の祖として著名で、安居院(あぐい)流を開いた。藤原通憲(ふじわらのみちのり)(信西(しんぜい)入道)の七男で母は高階重仲(たかしなしげなか)(1069―1120)の女(むすめ)。出家後比叡山(ひえいざん)に登り天台学を修めた。1183年(寿永2)法印となったが、京都の一条の安居院(あぐい)に住み、妻帯し、説経をもって教化にあたった。優れた弁舌家であったことが『玉葉(ぎょくよう)』など諸書にみえる。唱導関係の著作に『澄憲作文(さくもん)集』『澄憲表白(ひょうびゃく)集』などがあり、仏典の注釈も多い。その伝流は子の聖覚(しょうがく)(1167―1235)、孫の隆承(?―1246)へと相承された。
[新間進一 2017年9月19日]
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(今村みゑ子)
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…もと比叡山竹林院の里坊。その開基澄憲を始祖とする説経師が根拠地としたので,この系統の説経を安居院流という。澄憲は比叡山で檀那流の天台教学を修め,学識と弁舌の才で知られ,大僧都,法印に叙せられたが安居院に退去し,華麗な表現の表白諷誦文(ひようびやくふじゆもん)と機知に富んだ譬喩因縁譚(ひゆいんねんたん)を中心とした説経で人々の教化にあたり名声を博した。…
…唱導の名手とつたえられる慶意は〈先泣の誉〉があったというので,唱導の名手はみずからも泣き聴衆も泣かせたことをあらわしている。唱導が注目をあつめるのは,平安末期から鎌倉初期にかけて名手澄憲(ちようけん)法印が活動したためで,その子孫は安居院(あぐい)流という唱導の一派をなした。これは澄憲とその長子聖覚(せいかく)がその父祖藤原通憲(みちのり)(信西)の血統をうけて学者であり,演説の天才だったことによる。…
…ことばに節(ふし)(抑揚)をつけ,洗練された美声とジェスチャー(身ぶり)をもって演技的表出をとりながら聴衆の感覚に訴える詩的・劇的な情念の説教である。仏教伝来のときから行われたと推定されるが,天台宗の澄憲(ちようけん)(?‐1203)・聖覚(しようがく)(1167‐1235)父子が樹立した安居院(あぐい)流(安居院)と寛元(1243‐47)のころ定円が創始した三井寺(みいでら)派のことが《元亨(げんこう)釈書》に見える。安居院流は浄土宗と真宗に入り,とくに真宗で節談説教が興隆した。…
※「澄憲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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