1868年(慶応4)閏(うるう)4月25日、会計官のもとに設置された収税や勧業を担当した短命の政府機関。越前(えちぜん)藩出身の由利公正(ゆりきみまさ)が提案したもの。明治初年における政府の財政上の困難を除くために、当時の諸産業を奨励して生産物を増大させ、商品流通を活発にするなど、いわば間接税の増収を企図した。本司を京都に、支署を大阪、東京に置き、各地に商法会所を設置して商業の振興、取締りや、動乱期の細民の産業をも扶助しようとしたのである。しかし、旧来の組織のうえでの振興策は結局のところ成果があがらず、69年(明治2)3月に廃止され、勧業の業務のみ通商司に引き継がれた。
[加藤幸三郎]
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