喜八阿弥陀堂(読み)きはちあみだどう

日本歴史地名大系 「喜八阿弥陀堂」の解説

喜八阿弥陀堂
きはちあみだどう

[現在地名]小川町与沢

梶無かじなし川の右岸の長島家の宅地内にある。与沢よざわ村の喜八(与八・与八郎とも)が建てたといわれる。室町時代の建立と思われ、阿弥陀如来画像・善導大師画像・聖徳太子勝鬘経御講讃図(いずれも県指定文化財)がある。祖師聖人多宝略縁起(長島家文書)によると、阿弥陀画像は親鸞が稲田山(現笠間市西念寺)より鹿島参詣の際、難産で死亡した喜八の妻の亡魂を化導するため喜八に与えたという。境内に親鸞聖人御腰掛石があり、在家に残る親鸞祖師信仰を示す。石の後ろの石碑には嘉永四年(一八五一)豊前国田川郡安宅あたか村の庄市が建てたと刻まれる。

近くには親鸞が小石経文を彫って埋めたという経塚があり、長久保赤水の「常陸考」には「古与沢村民、名与八、妻死而其霊劫人、祈攘無験、親鸞為集小石書経文、埋之造塚、既而妖災不後見、与八子孫、今在焉」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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