喜友名グスク(読み)きゆうなぐすく

日本歴史地名大系 「喜友名グスク」の解説

喜友名グスク
きゆうなぐすく

[現在地名]宜野湾市喜友名

貝塚時代前期・中期の喜友名貝塚と重複するグスク時代の複合遺跡。標高約五七メートルの石灰岩台地の崖縁に位置し、北西側には北谷ちやたんターブックヮ(田袋)とよばれる沖積低地が広がる。古老によれば、グスクの長軸は北東から南西方向に七〇メートル、短軸の北東側が四〇メートル、南東側が二〇メートルほどの逆L字形をなす野面積みの単郭構造とされる。地籍図から推測される面積は約二四五〇平方メートルである。南西側には石塁の高さが約三メートルを測る正門、東側には約二メートル幅の裏門が取付き、縄張り内にはグスクヌガントーグヮー、グスクヌカー、クラと称される五―六ヵ所の拝所があったとされるが、一九一四年(大正三年)の郡道建設と、五五年(昭和三〇年)の米軍家族住宅造成によってほとんどの石塁が破壊された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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