喜谷六花(読み)キタニ リッカ

20世紀日本人名事典 「喜谷六花」の解説

喜谷 六花
キタニ リッカ

明治〜昭和期の俳人,僧侶 梅林寺住職。



生年
明治10(1877)年7月12日

没年
昭和43(1968)年12月20日

出生地
東京・浅草馬道町

本名
喜谷 良哉

別名
初号=古欄

学歴〔年〕
哲学館(現・東洋大学)卒

経歴
明治30年東京三ノ輪の梅林寺住職となった。34年河東碧梧桐師事、日本派に参加、師に従って定型を捨て自由律に進んだ。「海紅」や「俳三昧」の同人となったが、碧梧桐らがルビ句に転じたのに同調できず、昭和7年秋から再び「海紅」で活躍した。「寒烟」「梅林句屑」「虚白」などの句集に、編著碧梧桐句集」、滝井孝作との共著「碧梧桐句集」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜谷六花」の解説

喜谷六花 きたに-りっか

1877-1968 明治-昭和時代の俳人。
明治10年7月12日生まれ。東京下谷の曹洞宗(そうとうしゅう)梅林寺住職。河東碧梧桐(かわひがし-へきごとう)に師事。俳誌「海紅」に属し,自由律の革新派として活躍。六朝(りくちょう)風の書家としても知られた。昭和43年12月20日死去。91歳。東京出身。哲学館(現東洋大)卒。本名は良哉。句集に「寒烟(かんえん)」「虚白」など。
格言など】人の住めば寒烟はあり春を見ず(「寒烟」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の喜谷六花の言及

【大須賀乙字】より

…本名績(いさお)。1904年に東京帝大へ進学,同時期に河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)に入門し,〈雁鳴いて大粒な雨落しけり〉などの句をつくり,喜谷六花(りつか),小沢碧童とともに碧梧桐門の三羽烏と称された。08年2月,評論〈俳句界の新傾向〉を発表,最近の句には従来の直叙的な表現にかわる暗示的な傾向がある,と指摘した。…

※「喜谷六花」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android