俳句雑誌。1915年(大正4)3月、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が主宰し、塩谷鵜平(えんやうへい)の『壬子(じんし)集』を合併して創刊。59年(昭和34)6月、474号をもって終刊。中塚一碧楼(いっぺきろう)に編集と雑詠がゆだねられ、滝井孝作(折柴(せっさい))がこれを助けた。同人には既出4人のほか、小沢碧童(へきどう)、安斎桜磈子(あんざいおうかいし)、大須賀乙字(おつじ)ら、旧「日本派」の主力作家を網羅し、遠藤古原草、妹尾(せのお)美雄らの新鋭も加えている。碧梧桐は「直接表現」「人間味の充実」を唱え、自由律へ進んだが、1922年『碧(へき)』を創刊。以降、一碧楼が主宰し、「作品第一主義」をモットーに後進を育成した。
[瓜生鐵二]
『栗田靖編著『海紅総目録(大正篇)』(1979・東海学園女子短期大学国語国文学会)』
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…荻原井泉水も11年《層雲》を創刊し,定型と季題を止揚して生命の律動を詠む自由律を提唱,碧梧桐と別れた。一碧楼は季題と形式にとらわれない自由表現を唱え,碧梧桐とともに15年《海紅》を創刊した。かくて運動は3派に分裂し,以後《層雲》《海紅》を中心に自由律俳句へと転進,25年ころ《層雲》の尾崎放哉,種田山頭火は短律俳句の傑作を生みだした。…
…これが自由律俳句運動のおこりで,1914年(大正3)には荻原井泉水が俳誌《層雲》でいっそう大胆な自由表現と季題無用論を唱えて加わり,さらに17年には河東碧梧桐も口語表現のさけがたいことを論じて運動に投じた。これを俳誌の面からいえば,前記《第一作》の後身《海紅(かいこう)》と《層雲》を主流として,碧梧桐の《碧》《三昧》,栗林一石路らの《俳句生活》を加えたものが自由律俳句の流れであった。しかし碧梧桐,一碧楼の没後は《層雲》が主流となり,これに新俳句人連盟の機関誌《俳句人》の一部,吉岡禅寺洞の《天の川》などが加わり第2次世界大戦後の自由律俳句を推進した。…
※「海紅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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