日本の城がわかる事典 「喜連川陣屋」の解説 きつれがわじんや【喜連川陣屋】 栃木県さくら市喜連川(旧喜連川町)にあった城館。安土桃山時代の1593年(文禄2)に、足利頼氏によって築かれた。1582年(天正10)、古河公方の足利義氏は後継不在のまま他界したが、豊臣秀吉の命により、義氏の娘の時姫と小弓公方の足利義明の孫国朝を結婚させることで義氏の名跡を継がせることになり、これに伴い喜連川に3500石の所領が与えられた。しかし、国朝は秀吉の朝鮮出兵に応じて出陣し、その途上の広島で死去し、弟の頼氏が跡を継いで喜連川氏を称した。この頼氏が所領の喜連川に陣屋として築いたのが、この城館である。喜連川氏は江戸時代に入って、幕府から5000石の所領が与えられ、御三家・国持大名と同等の格式と、国許居住の自由、参勤交代や諸役免除などの特権が認められた。明治に入り、最後の当主の喜連川聡氏は足利姓に戻している。喜連川陣屋はさくら市喜連川庁舎と公民館のある一帯にあったが、1876年(明治9)に焼失し、陣屋の遺構は残っていない。陣屋跡には現在模擬城門があるが、これはかつての陣屋の門を復元したものではない。陣屋の門は同市郊外に移築され現存している。近くのお丸山公園は、喜連川氏の入封前に、この一帯を領有していた宇都宮氏の一族の塩谷氏が築いた山城(やまじろ)、倉ヶ崎城跡につくられている。JR東北本線氏家駅からバスで喜連川支所下車。◇喜連川館とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報