喜連川氏(読み)きつれがわうじ

改訂新版 世界大百科事典 「喜連川氏」の意味・わかりやすい解説

喜連川氏 (きつれがわうじ)

1590年(天正18)の小田原合戦後,小弓(おゆみ)足利氏豊臣秀吉から下野喜連川の地を与えられ,喜連川氏を称した。その翌年豊臣秀吉の仲介古河公方(こがくぼう)足利義氏の遺女氏姫と喜連川国朝との結婚が成立し,喜連川氏が関東足利氏の嫡流たる地位を襲封することとなった。93年(文禄2)国朝が朝鮮の役で九州に赴く途中安芸で病死したのにともない,弟頼氏が氏姫と結婚して喜連川氏を継いだ。喜連川氏は,江戸時代5000石を有し,また高家(こうけ)として四品・十万石の格式を与えられており,その血統のゆえに重く用いられた。以後,代を重ね,聡氏のとき喜連川氏から足利氏に復姓し,廃藩置県を迎えている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「喜連川氏」の意味・わかりやすい解説

喜連川氏
きつれがわうじ

古河公方足利氏の後裔。天正 18 (1590) 年,豊臣秀吉が小田原征伐ののち,小弓 (おゆみ) 御所足利義明の孫国朝に古河公方足利義氏の跡を継がせ,下野国塩谷郡喜連川に封じてから喜連川氏を称した。江戸時代 5000石にすぎなかったが,10万石の格式を与えられた。明治にいたり足利氏に復し,子爵に列した。

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世界大百科事典(旧版)内の喜連川氏の言及

【古河公方】より

…古河公方家は,義氏が1582年(天正10)嗣子なく没したことで断絶し,わずかに幼少の氏姫が足利氏を襲封するにとどまった。90年豊臣秀吉の小田原征伐の過程で,小弓公方家が喜連川氏(きつれがわうじ)として再生し,その翌年秀吉の仲介で氏姫と喜連川氏との間で婚姻関係が成立し,喜連川氏が関東足利氏の嫡流となった。古河公方家は,門地格式の高さから貴種として存在し,関東政治史に特異な役割をはたし,それは高家(こうけ)としての喜連川氏に受けつがれていった。…

※「喜連川氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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