喬冠華(読み)きょうかんか(英語表記)Qiao Guan-hua

日本大百科全書(ニッポニカ) 「喬冠華」の意味・わかりやすい解説

喬冠華
きょうかんか / チヤオコワンホワ
(1912/1913―1983)

中国の外交官江蘇(こうそ/チヤンスー)省塩城県出身。北京(ペキン)の清華大学卒業後、日本の東京帝国大学に2年間留学。仏独にも留学。抗日戦争中に帰国し、中国共産党入党。重慶(じゅうけい/チョンチン)で党機関紙『新華日報』記者を務める。1949年北京で政府弁公庁副主任、情報局長。1950年外務省アジア局長代理として台湾問題国連安保理事会に出席。1954年外務次官補となり、1961年ラオス中立に関するジュネーブ会議代表団員、1964年外務次官、1971年国連復帰時の中国首席代表、1974年外相に就任。1976年「四人組」支持者として失脚したが、1983年対外友好協会顧問。同年9月に死去

[高市恵之助・渋谷 司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「喬冠華」の意味・わかりやすい解説

喬冠華
きょうかんか
Qiao Guan-hua

[生]1913. 江蘇
[没]1983.9.22. 北京
中国の政治家,ジャーナリスト。清華大学卒業後日本やドイツに留学。帰国後抗日運動に参加。『新華日報』で活動し,国共内戦中ホンコンで新華分社を経営。 1949年中央人民政府委員会弁公庁副主任。新聞総署国際新聞局長などを歴任。その後,周恩来のもとで外交交渉にたずさわり,ジュネーブ会議 (1954) ,バンドン会議 (55) などの中国代表団顧問,中ソ友好協会代表などを経て,64年外交部副部長。 69年 10月に始った中ソ国境交渉の中国側首席代表。 71年 11月中国国連代表団の初代首席代表。 74年外交部長となったが,76年の「四人組」摘発と関連して 12月に失脚。 82年から対外友好協会顧問として復活した。

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