四ッ屋町(読み)よつやまち(よつやじんまち)

日本歴史地名大系 「四ッ屋町」の解説

四ッ屋町(四ッ屋新町)
よつやまち(よつやじんまち)

[現在地名]四日市市沖の島おきのしま町・ほん町・元新もとしん町・中部ちゆうぶ

七幡しちまん(南瀬古)の東にあり、北はなか町、南は中新なかじん町と浜新はまじん町の中間に接する。旧版「四日市市史」によれば、正徳年間(一七一一―一六)東側に三軒、西側に一軒の家があり、これが町名の由来といい、文化年間(一八〇四―一八)には南の中新町・下新町の中間に四ッ屋(谷)新町が成立、以後は新町が中心となりそのなかに含まれたとする。延享二年(一七四五)の四日市古絵図写(四日市市立図書館井島文庫蔵)では「四ツ屋」、明和五年(一七六八)の四日市町絵図(同文庫蔵)にも「四ツ屋」で南北五四間と出、この時期には公称の四ッ屋町は成立していなかったと思われる。


四ッ屋町
よつやまち

[現在地名]高崎市四ッ屋町

赤坂あかさか町ともと町の北にある三国街道両側町で、町の長さ四二間(安政三年城下図)の小さな遠堀外の町。「高崎志」に「四屋町」として「間部氏城主タリシ時、正徳元年辛卯新タニ開ク、本町ノ分也」とある。町名の起源について、地内の四阿屋あずまや宮に由来するとする説がある(更正高崎旧事記)。「高崎志」の四阿屋権現の項に「四阿屋権現ノ石宮ハ、筏場ノ大道ヨリ東高キ所ノ森中ニアリ、此辺ヲ上和田ト云、元和ノ始本町ヨリ此宮ヲ造立シテ、舟路ノ難ナカランコトヲ祈ル」とあり、勧請された所は赤坂村上和田かみわだであった。本町支配であった四ッ屋地内へ宮を移したものと思われるが、四ッ屋町が成立した間部氏時代の正徳年間(一七一一―一六)には上和田地内にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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