四ヶ所村(読み)しかしよむら

日本歴史地名大系 「四ヶ所村」の解説

四ヶ所村
しかしよむら

[現在地名]筑後市四ヶ所

江口(えぐち)村の南、花宗(はなむね)川右岸に位置する。寛正六年(一四六五)と推定される一〇月一七日の宝勝院光憧書状(大友家文書/大分県史料二六)にみえる「四ケ所村」は当地に比定され、黒木氏らが大友氏に背いた際に大友方の攻撃を受けている。本高は二八七石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高五〇五石・役高三八三石。享和二年(一八〇二)の春免高帳によると高三八三石。文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田二三町余・畑六反余・居屋敷三反余。旧高旧領取調帳では高六〇九石余。当村から三潴(みづま)郡侍島(さむらいじま)村(現大木町)の責橋までが蛭池組大庄屋平木佐平太の支配下にあったが、昔から運上は課されていない(「旧記抜粋」新有馬文庫)。


四ヶ所村
しかしよむら

[現在地名]上越市四ヶ所

戸野目(とのめ)古新田の南に位置。東方を戸野目川、西方を子安(こやす)用水が流れる。そのほか四ヶ所用水(重川用水)が流れ、当村の農業用水はこれに依存。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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