日本歴史地名大系 「四条宮跡」の解説 四条宮跡しじようのみやあと 京都市:下京区成徳学区新釜座町四条宮跡「拾芥抄」は「廉義公家、公任大納言家」として四条宮を記すが、その位置を「四条南、西洞院東」としている。もし方一町であればほぼ現在の郭巨山(かつきよやま)町・妙伝寺(みようでんじ)町・矢田(やだ)町・四条町の各一部と、新釜座(しんかまんざ)町の全域を含む範囲となる。ただし「拾芥抄」東京図は四条北の方一町を描くが、本文のほうが正しいであろう。廉義公とは藤原頼忠で、小野宮殿と称された実頼の子にあたり貞元二年(九七七)関白、天元元年(九七八)には太政大臣に任ぜられた。公任は頼忠の子で歌人・才人として知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by