四条町(読み)しじようちよう

日本歴史地名大系 「四条町」の解説

四条町
しじようちよう

下京区新町通四条下ル

南北に通る新町しんまち(旧町尻小路)を挟む両側町。

平安京の条坊では左京五条三坊一保一町東側及び同八町西側。平安中期以降は四条町尻小路南の地。町内西つらは平安京の四条宮しじようのみや敷地にあたる。長寛元年(一一六三)の藤井国方家地売券(屋代弘賢文書)並びに治承四年(一一八〇)の秦国清家地売券(土岐武次氏所蔵文書)の土地は、いずれも「在自四条南自町東町面也」とあり、当町東頬にあたる。

南北朝時代から、当町付近には祇園社(現東山区)を本所とする綿座などの座棚が密集し、急速に商人町としての性格を強める。康永三年(一三四四)の文殿廻文(旧猪熊信男氏所蔵文書)によると、

<資料は省略されています>

とあり、北朝文殿から廻文をもって、左京職と四条町土屋形商人等を召喚して、庭中での参対を命じている。当町付近に土屋形商人、すなわち土倉衆が住んでいたことがわかるが、加えて、土屋形という表現から土蔵造の邸館が連想できる。室町時代を通じて屋形といえば、公方・守護大名クラスの屋敷に使われたが、四条町の土屋形はいっそう堅固な構造を思わせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の四条町の言及

【下京】より

…当時は南の下京を〈下町〉〈下辺(しもわたり)〉と呼び,〈下京〉なる呼称も南北朝時代には普及していたと考えられる。下京の中心は四条町で,1369年(正平24∥応安2)室町幕府が四条町の立売を禁止したことからも,その立売に対抗する店舗商人の活動がうかがえる。事実,当時の四条町には鎧,腹巻,弓矢,太刀,綾錦などを扱う商店が軒を並べていた。…

※「四条町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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