日本歴史地名大系 「四条町」の解説
四条町
しじようちよう
南北に通る
平安京の条坊では左京五条三坊一保一町東側及び同八町西側。平安中期以降は四条町尻小路南の地。町内西
南北朝時代から、当町付近には祇園社(現東山区)を本所とする綿座などの座棚が密集し、急速に商人町としての性格を強める。康永三年(一三四四)の文殿廻文(旧猪熊信男氏所蔵文書)によると、
とあり、北朝文殿から廻文をもって、左京職と四条町土屋形商人等を召喚して、庭中での参対を命じている。当町付近に土屋形商人、すなわち土倉衆が住んでいたことがわかるが、加えて、土屋形という表現から土蔵造の邸館が連想できる。室町時代を通じて屋形といえば、公方・守護大名クラスの屋敷に使われたが、四条町の土屋形はいっそう堅固な構造を思わせる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報