国ヶ原村(読み)くにがはらむら

日本歴史地名大系 「国ヶ原村」の解説

国ヶ原村
くにがはらむら

[現在地名]御津町国ヶ原

旭川左岸に位置し、東は大鹿おおじか村の枝村田土谷たどたに、西は川高かわたか村に接する。北には川高山(三四〇メートル)がそびえる。寛永備前国絵図では高二六一石余。「備陽記」では田畑一九町八反余、家数八二・人数四五五。文化年間の「岡山藩領手鑑」によれば田高三三石余・二町六反余、畑高二六一石余・七町七反余、開方田畑高六石余・一町六反余。直高四五四石余で、家臣源谷助左衛門の給地。家数九二・人数四三五、牛二二、山林一五町八反のうち四町二反余は源谷助左衛門所有、残りは百姓自林。藪四反余のうち三反余は源谷助左衛門所有、一反余は百姓自藪。旭川対岸の津高つだか野々口ののくち村との間に渡場があり、小船一艘があった。

耕地は畑が大半を占めていたため、煙草の栽培や養蚕が盛んであったが(備陽国誌)、慶応元年(一八六五)川高村の枝村大曾根おおそねの旭川に井堰(大曾根堰)を構築し、二千三〇三間の用水路(国ヶ原用水)開削することによって畑二〇町余の水田化を行うことを計画、郡奉行森下立太郎ほか五名へ嘆願書を提出、翌二年一月許可を得て五月に起工

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android