先端技術産業を核として地方経済の発展を目ざす高度技術集積都市。通産省(現経済産業省)が地域開発構想として、かつて新産業都市の計画を進めたが、公害問題や石油ショックなどで十分な開発が進められなかったので、その反省を受けて、新しく1980年(昭和55)に打ち立てられた。テクノロジーtechnology(技術)とポリスpolis(都市)を組み合わせてつくられた和製英語で、新時代の産業都市づくりである。84年に長岡、富山、浜松、広島中央、宇部、県北国東(くにさき)(大分県)、熊本、宮崎、国分隼人(こくぶはやと)(鹿児島県)の9地区が指定されたのをはじめ、函館(はこだて)、青森、秋田、宇都宮、西播磨(はりま)(兵庫県)、吉備(きび)高原(岡山県)、久留米(くるめ)・鳥栖(とす)、長崎など、1998年(平成10)現在26地域となっている。開発面積は約13万ヘクタール以下、母都市は人口15万人以上で、その中心から30分以内の地域につくられる。中核には先端技術産業の企業群、大学、研究開発機関があたり、産・学・住のバランスのとれた地域開発を目ざす。国は投資減税や補助金、高度化融資など支援策を行う。
[沢田 清]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 全国ネットワークや産業配置構想は,新全総を継承しているが,大規模産業立地における環境アセスメントや地域圏の情報格差の是正の必要などの言及がなされている。この時期は,〈地方の時代〉という言葉が盛んに用いられるようになり,地域での生活基盤の充実のためのさまざまな文化施設が作られた。人口の大都市圏への集中も1970年代後半にはストップする傾向にあった。
[第4次全国総合開発計画]
〈第4次全国総合開発計画〉(四全総)は1987年に閣議決定された。そのキー・コンセプトは,〈多極分散型国土の形成〉と〈交流ネットワーク構想〉であり,日本のハイテク産業の国際的な評価の高まりによって,技術革新・情報化・国際化が進み,中央と地方の格差が再び拡大しはじめた状況に対処することが求められていた。その背景には,日本の製造業におけるハイテク型技術革新への,日本的経営による適応の成功が挙げられる。地域開発面でもその現れとして〈テクノポリス〉計画の進行が始まっていた。 テクノポリス計画は、1983年に成立した〈高度技術工業集積地域開発促進法〉によるもので,全国で26地域を指定している。その基準とされたものは,大都市圏以外の地域でハイテク企業の立地が進んでいるか誘致見込みがあり,空港や新幹線駅,高速道路などのアクセスがあること,生活基盤が整備された母市があり,大学や研究機関が存在することなどであった。…
…しかし,ディジタル通信の普及に関しては,笛吹けど踊らずの状態が長く続き,INSは,やがて人知れず消えていった。また,ニューメディアの直線状の発達を前提にして未来都市が構想され(例えば郵政省の〈テレトピア〉,通産,建設,農林水産,国土の4省庁による〈テクノポリス〉),ニューメディアが完備した家庭での〈在宅勤務〉,〈エレクトロ・バンキング〉を可能にする金融システムを備えた未来社会も構想された。
[実質的な普及]
ニューメディアの技術は,1980年代には,むしろ軍事の分野で大幅に導入されたと言えるかもしれない。…
※「テクノポリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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