日本歴史地名大系 「国恩寺跡」の解説
国恩寺跡
こくおんじあと
「桑下漫録」所引の「盥魚」に
とある。延暦一七年(七九八)の坂上田村麻呂草創伝承については、「和漢三才図会」に「太平山国恩寺、在亀山、本尊千手観音、坂上田村将軍守本尊也、有田村甲冑及矢相伝、此矢乃射鈴鹿之凶賊、俗謂千之鏃者是也」と記す。これは本尊を千手観音とするが、「桑下漫録」に「天正年中迄は今の森村の民家を構る地に伽藍有しが、明智光秀毀て城郭の用に足す。亀城に明智門と云有、此国恩寺の門なるよし、今は山に添て五間四面の堂に薬師仏を安置す」とあって、天正(一五七三―九二)頃に光秀により堂舎を解体されたようである。
国恩寺跡
こくおんじあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報