20世紀日本人名事典 「国木田収二」の解説 国木田 収二クニキダ シュウジ 明治・大正期のジャーナリスト 生年明治11(1878)年9月1日 没年昭和6(1931)年3月4日 出生地広島県 別名号=北斗 学歴〔年〕東京専門学校(現・早稲田大学)卒 経歴国民新聞社に入り、兄独歩と共に徳富蘇峰門下の逸材と称せられた。独歩が日清戦争の際「国民新聞」の従軍記者として戦地から収二に送った「愛弟通信」は兄弟愛の美談として喧伝された。明治32年南洋を視察旅行、のち神戸新聞社に主筆兼編集部長として入社、10数年を経て、「読売新聞」の主筆に転じた。晩年は新聞界より退き、川崎造船秘書課に勤めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「国木田収二」の解説 国木田収二 くにきだ-しゅうじ 1878-1931 明治-大正時代の新聞記者。明治11年9月1日生まれ。国木田独歩の弟。国民新聞社に入社。日清戦争当時,同社の従軍記者となった独歩が収二あての手紙体で戦況報告をおくり,「愛弟通信」としてもてはやされた。のち「神戸新聞」「読売新聞」の主筆をつとめた。昭和6年3月4日死去。54歳。広島県出身。東京専門学校(現早大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「国木田収二」の解説 国木田 収二 (くにきだ しゅうじ) 生年月日:1878年9月1日明治時代;大正時代の筆論家。「読売新聞」の主筆1931年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by