国東郷(読み)くにさきごう

日本歴史地名大系 「国東郷」の解説

国東郷
くにさきごう

現国東町の大半を郷域とするが、旧武蔵むさし郷に属していた治郎丸じろうまる綱井つない重藤しげふじを除く。伊予灘に注ぐ来浦くのうら川・富来とみく川・田深たぶか川流域。「くにざき」ともよむ。律令制下の国東郷が分割・統合されることなく、国領国東郷として存続するが、その原因として当地に郡衙が所在したことが考えられる。領家に松殿二位中将が確認されるので、完全な国衙領ではなく、国半不輸領であったことになる。郷内に確認できる名・村は諸富もろとみ名・大嶽おおたけ村・見地けんじ村・来浦・富来小原おわら上諸吉かみもろよし立野たての村・千疋せんびき村・田深浦・今在家いまざいけ横手よこて村・赤松あかまつ深見ふかみ名・河原かわら村などであるが、史料初見が同一時期でないのでその性格には違いがある。宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)に郷名がみえる。元暦元年(一一八四)七月に焼打ちされた宇佐宮の仮殿造営のため当郷も一国平均役が課せられるが、文治年中(一一八五―九〇)に宇佐宮太大工の小山田貞遠が作成利用したこの指図によると、国東郷は置路甃六八丈五尺内若宮鳥居のうち三丈、大門南中間甃一九丈五尺うち六丈ほか二件の負担となっている。豊後国弘安田代注進状に国領国東郷三〇〇町とあり、領家は藤原五摂家の祖忠通の子基房(松殿)の孫良嗣で、地頭は二階堂盛綱。宇佐宮とともに豊後一宮の由原ゆすはら(現大分市)に対しても当郷の負担があり(文永一〇年閏五月一三日「大隅国正八幡宮大神宝官使等重申状案」宮内庁書陵部八幡宮関係文書)、乾元二年(一三〇三)八月一五日の豊後国在国司沙弥行念請文(柞原八幡宮文書)によれば、生石いくし(現大分市)で実施される由原宮放生会に参加する国東郷船が渡航中転覆したため、神事還御が延引している。また正慶元年(一三三二)正月一一日の賀来社年中行事次第(同文書)によれば、五月会の流鏑馬六騎中の六番、八月の放生会の国庁一宇六間、旗鉾三本のうち一本、御前ならびに大宮司屋形前の松明、在庁神官の饗膳を負担している。これらは嘉慶二年(一三八八)三月日の賀来社御行幸儀式次第、文亀元年(一五〇一)一二月一三日の賀来社遷宮等次第記(同文書)でも確認できる。

当郷地頭職は二階堂行朝に相伝されたが、観応二年(一三五一)正月二九日田原貞広に安堵され(「足利尊氏袖判下文」岩藤文書)、翌文和元年(一三五二)一一月二四日には鎮西管領一色道猷施行状(案、入江文書)が大友氏時宛に出されている。しかし貞広は翌年二月筑前針摺はりすり(現福岡県筑紫野市)戦死(「大友田原系図」同文書)足利尊氏は同年九月一四日貞広の所領所職を嫡子徳増丸(氏能)に安堵している(「足利尊氏御判御教書案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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