大分県北東部、国東半島東部に位置する市。2006年(平成18)、東(ひがし)国東郡国見町(くにみちょう)、国東町、武蔵町(むさしまち)、安岐町(あきまち)が合併して市制施行、国東市となった。市名は古代以来の国東(国埼、国前、国崎などとも記す)郡の郡名による。国東半島中央部の両子(ふたご)山群の山々を境に西から南は豊後高田(ぶんごたかだ)市、杵築(きつき)市に接し、北から東は周防(すおう)灘に面する。西部の山地は放射状に谷々を刻んで、伊美(いみ)川、田深(たぶか)川、安岐(あき)川などが流下し、海岸部に小平野をつくる。半島を回る国道213号が海岸近くを通り、南東部の海上に突き出て大分空港があり、大分空港道路が通る。空港と東京羽田、成田、名古屋中部、大阪伊丹、韓国ソウル、台湾台中などとの間に便がある。竹田津(たけだつ)―山口県周南(しゅうなん)市徳山(とくやま)間と伊美―姫(ひめ)島間にはフェリーが就航。
旧石器時代の伊予野原遺跡(いよのはるいせき)、姫島産黒曜石が多量に出土した縄文時代の羽田遺跡(はだいせき)など、注目される遺跡が多い。装飾壁画をもつ鬼塚古墳(おにづかこふん)は国指定史跡。古代国埼(くにさき)郡の郡津であったとみられる「国埼津」(田深川の河口に所在か)は海上交通の要地であった。奈良―平安時代、豊前宇佐宮(宇佐神宮)がその地位を高めるに伴い、市域には宇佐宮、および宇佐宮神宮寺の弥勒(みろく)の所領として武蔵郷、安岐郷、竹田津荘、伊美荘などが成立。古代から中世にかけて、国東半島には宇佐宮、弥勒寺の末社、末寺(天台宗)が多数建立され、のちに六郷満山(ろくごうまんざん)とよばれる独特の仏教文化が栄えた。鎌倉期以降、宇佐宮領や六郷満山にも武士の勢力が及び、竹田津氏・伊美氏・岐部氏などは豊後守護大友氏の浦部衆として活躍。14世紀になると大友氏の一族田原氏や、家臣富来(とみく)氏が勢力を振った。豊臣政権下で1594年(文禄3)熊谷氏が安岐城に、垣見氏が富来城に入るが、関ヶ原合戦後は細川忠興に与えられた。江戸時代には、杵築藩領であった村が多く、一部は同藩分知領、幕府領。武蔵川河口の古市(ふるいち)湊、富来湊などは、七島(しちとう)莚の売買、輸出港として栄えた。
現在の基幹産業は農業で、イチゴ、メロン、ミカン、キウイフルーツ、ミニトマト、ネギ、シイタケ、山芋などの果樹・野菜栽培が盛ん。漁業ではタチウオ、クルマエビなどが特産。瀬戸内海国立公園に含まれる自然景観、国の重要文化財に指定される照恩寺(しょうおんじ)、岩戸寺(いわとうじ/いわとじ)、長木家旧墓地、朝来(あさく)の各宝塔(国東塔)、泉福寺(せんぷくじ)の開山(かいざん)堂など、六郷満山の文化遺産を中心とした多くの文化財に恵まれており、観光開発にも力が注がれている。武蔵町吉広(よしひろ)の楽庭(がくにわ)八幡社に奉納される吉弘楽(よしひろがく)、岩戸寺や成仏寺(じょうぶつじ)の修正鬼会は国の重要無形民俗文化財。江戸中~後期の哲学者で豊後三賢の一人、三浦梅園の旧宅は国指定史跡。面積318.10平方キロメートル、人口2万6232(2020)。
[編集部]
大分県北東部、東(ひがし)国東郡にあった旧町名(国東町(まち))。現在は国東市の中央部東寄りにあたる地域。1894年(明治27)国崎村が町制施行して国東町と改称。1901年小原(おばら)村、1954年(昭和29)富来(とみく)、来浦(くのうら)の2町および上国崎(かみくにさき)村、豊崎(とよさき)村、旭日(あさひ)村(一部)と合併。2006年(平成18)国見(くにみ)、武蔵(むさし)、安岐(あき)の3町と合併して市制施行、国東市となった。旧町名は古代の郷名(ごうめい)による。海岸に国道213号が通じる。開析火山の国東半島東部放射谷底の米・タバコ作、放射山稜(さんりょう)やこれに続く段丘のミカン栽培が主産業。平安時代から鎌倉時代に六郷満山(ろくごうまんざん)の文化の中心として栄えた町で、1394年(応永1)建立の泉福寺開山堂(せんぷくじかいざんどう)、岩戸寺(いわとうじ)や鳴(なる)の長木家(ちょうぎけ)の国東塔は国指定重要文化財。文殊仙寺(もんじゅせんじ)は奇岩と大樹の茂みの中の古寺。黒津崎(くろつざき)海岸には国民休養地、いこいの村国東がある。
[兼子俊一]
『『国東町史』(1973・同書刊行会)』
大分県北東部,国東半島東部にある市。2006年3月安岐(あき),国東,国見(くにみ),武蔵(むさし)の4町が合体して成立した。人口3万2002(2010)。
国東市南西部の旧町。旧東国東郡所属。人口9974(2005)。国東半島南東部に位置する。北西端の両子(ふたご)山(720m)から南東へ山地が走り,中央部を安岐川が東流して伊予灘に注ぐ。安岐川下流に定期市の残る瀬戸田や下原があり,中心集落をなす。平たん地では米作,傾斜地ではミカン栽培が盛んで,七島藺(しちとうい),タバコなども産し,農業が主産業となっている。江戸中期の哲学者三浦梅園の旧宅(史),六郷満山の総持寺として栄えた天台宗両子寺があり,海岸北部に大分空港がある。
国東市中部の旧町。旧東国東郡所属。人口1万3031(2005)。国東半島東端に位置する。半島最高峰の両子山より,来浦川,富来川,田深川などの河川が東流して,伊予灘に注ぐ。田深川河口両岸の鶴川,田深が中心集落になっている。農業を主とし,米作のほか,イチゴ,メロンなどの施設園芸やミカン,キーウィフルーツの栽培が行われ,シイタケの生産も盛ん。漁業はノリやワカメの養殖が中心。重要文化財の泉福寺開山堂,岩戸寺国東塔のほか文殊仙寺,神宮寺などの仏教文化財がある。安国寺遺跡をはじめとする遺跡も多い。
国東市北西部の旧町。旧東国東郡所属。人口5249(2005)。国東半島北端に位置する。南部山地より北流して周防灘に注ぐ竹田津川,伊美川,岐部川などの沿岸に水田が開かれ,集落が立地する。海岸一帯は屈曲の多いリアス海岸で,徳山市と結ぶ周防灘フェリーの発着する竹田津港,姫島との定期船がある伊美港をはじめ良港が多く,漁業や観光の基地となっている。農業では米,タバコ,シイタケなどを産するほか,1963年以来ミカン栽培に重点をおいている。六郷満山に関係する仏教史跡や文化財が多く,千灯寺跡,千灯石仏,別宮社国東塔などがある。また装飾古墳の鬼塚古墳(史)もある。
国東市南部の旧町。旧東国東郡所属。人口5952(2005)。国東半島東部に位置し,東は伊予灘に面する。両子山の南東斜面を占め,中央部を武蔵川が東流して伊予灘に注ぐ。町名は,《和名抄》などに記される武蔵郷の名にちなむ。武蔵川河口に位置する中心集落の古市は,近世,特産のイグサで作るむしろなどの積出しでにぎわい,杵築(きつき)藩の米蔵が置かれた。町の南東端の海岸に1971年大分空港が開港し,工場誘致も進められて,第2次・第3次産業の就業者が増えている。農業は米作とミカン栽培が中心で,シイタケの生産量も多い。照恩寺国東塔は,重要文化財に指定された高さ2.5mの石塔で,正和5年(1316)の銘が刻まれている。このほか,国東半島の仏教文化を伝える文化財が多く,自然景観にも恵まれ,国東半島県立自然公園の一部を形成している。
執筆者:萩原 毅
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