国東(読み)くにさき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大分県北東部,国東市東部の旧町域。国東半島東部にある。1894年町制施行。1954年来浦町,富来町の 2町および上国崎村,豊崎村の 2村と合体。同年旭日村の一部を編入。2006年国見町,武蔵町,安岐町と合体して国東市となる。中心集落は鶴川両子山や文殊山山腹の放射谷では米作山稜緩斜面から段丘面にかけてはミカンなど果樹栽培が行なわれる。沿岸漁業ではノリ,ワカメが中心。1984年県北国東テクノポリス地域に指定されて以来,電子関連の先端産業の進出が著しい。国の重要文化財の泉福寺開山堂,仏殿および岩戸寺宝塔(国東塔)をはじめ,安国寺集落遺跡(国の史跡),文殊仙寺狐塚古墳など文化財に富む。また,岩戸寺と成仏寺で 1年交代で行なわれる修正鬼会は国の重要無形民俗文化財。両子山山頂付近は瀬戸内海国立公園に,その周辺および海岸美で知られる黒津崎など海岸の大部分国東半島県立自然公園に属する。

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デジタル大辞泉の解説

大分県国東半島東半を占める市。丘陵地が多く柑橘類の栽培が盛ん。電子機器の工場も多く進出している。南部の埋め立て地に大分空港がある。平成18年(2006)3月に国見町・国東町・武蔵町・安岐(あき)町が合併して成立。人口3.2万(2010)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大分県北東部、東(ひがし)国東郡にあった旧町名(国東町(まち))。現在は国東市の中央部東寄りにあたる地域。1894年(明治27)国崎村が町制施行して国東町と改称。1901年小原(おばら)村、1954年(昭和29)富来(とみく)、来浦(くのうら)の2町および上国崎(かみくにさき)村、豊崎(とよさき)村、旭日(あさひ)村(一部)と合併。2006年(平成18)国見(くにみ)、武蔵(むさし)、安岐(あき)の3町と合併して市制施行、国東市となった。旧町名は古代の郷名(ごうめい)による。海岸に国道213号が通じる。開析火山の国東半島東部放射谷底の米・タバコ作、放射山稜(さんりょう)やこれに続く段丘のミカン栽培が主産業。平安時代から鎌倉時代に六郷満山(ろくごうまんざん)の文化の中心として栄えた町で、1394年(応永1)建立の泉福寺開山堂(せんぷくじかいざんどう)、岩戸寺(いわとうじ)や鳴(なる)の長木家(ちょうぎけ)の国東塔は国指定重要文化財。文殊仙寺(もんじゅせんじ)は奇岩と大樹の茂みの中の古寺。黒津崎(くろつざき)海岸には国民休養地、いこいの村国東がある。

[兼子俊一]

『『国東町史』(1973・同書刊行会)』


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精選版 日本国語大辞典の解説

大分県の北東部、国東(くにさき)半島にあった郡。古くは国前、国埼とも記し、弘安年間(一二七八‐八八)以降、国東に統一された。明治一一年(一八七八)東国東・西国東の二郡に分かれた。〔豊後風土記(732‐739頃)〕

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