日本大百科全書(ニッポニカ) 「国立工場」の意味・わかりやすい解説
国立工場
こくりつこうば
Ateliers nationaux フランス語
1848年の二月革命で成立した第二共和政臨時政府が、社会主義者ルイ・ブランの提唱によって設立した施設。国営ないしは国民作業場と訳すほうが適切である。資本主義的競争の弊害を除去するため国家権力によって生産施設を設置し、労働者の自主的運営にゆだねるというルイ・ブランの「社会作業場」構想とは異質なもので、仕事のない労働者に仕事と手当とを支給するという単なる失業対策事業にしかすぎなかった。その管理権はルイ・ブランに敵対的なブルジョア共和派の商務大臣マリにゆだねられ、労働者は1日2フラン、仕事のない日も1.5フランを支給され、不急不用の土木工事に使役された。しかし地方から大量にパリに流入してくる失業者全部に仕事を与えることはとうてい困難であり、資金的にもまもなく行き詰まり、有産市民の間には無為徒食の徒を国費で養っているとの宣伝が振りまかれた。かくて国立工場は財政困難を理由として閉鎖されたが、このことは同年6月の労働者暴動の直接の原因となった(六月事件)。政府は、社会主義者の信用を失墜させるため、最初から失敗を見越してこの施設をつくったといえる。
[桂 圭男]