朝日日本歴史人物事典 「国頭正則」の解説
国頭正則
生年:尚寧26(1614)
17世紀初めの琉球王府の重臣。馬氏国頭按 司家の7世。唐名は馬国隆。寛永20(1643)年に尚賢王即位の謝恩使,承応2(1653)年に将軍徳川家綱襲封の慶賀使として江戸に上り,同3年には異国奉行に就いている。また,寛文1(1661)年にかけてしばしば薩摩の島津氏に対する年頭を寿ぐ使者(年頭使)などをも務めた。この間に島津家当主光久の信を得たとみえて,三司官の証人(人質)制度の免除など,3条にわたる王府の訴えを認めさせる功をあげている。尚質後期から尚貞初期(1660~72)に王政改革を主導した向象賢(羽地朝秀)とは政敵の関係にあったと目される。<参考文献>真境名安興,島倉竜治『沖縄一千年史』
(上原兼善)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報