園寺跡(読み)ぎおんじあと

日本歴史地名大系 「園寺跡」の解説

園寺跡
ぎおんじあと

[現在地名]甲府市元紺屋町

戦国時代の甲府に創建された当山派修験の寺院。祇薗寺とも表記された。「甲斐国志」によれば、清光山峰本院と号し、躑躅が崎つつじがさき館の裏鬼門守護として勧請された牛頭天王社の別当を務めた。創建年代は不詳であるが、当初は牛頭天王社と同じく峰本みねもと(現屋形三丁目)地内にあった(寺記)。永禄三年(一五六〇)八月二五日の武田信玄印判条目(武田湊家文書)では、「国中客僧衆」に対し棟別役の普請をことごとく免除する替りとして遠国への使者を義務づけており、当寺が甲斐国内修験当山派の触頭に位置付けられていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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