園田御厨(読み)そのたのみくりや

日本歴史地名大系 「園田御厨」の解説

園田御厨
そのたのみくりや

新田につた庄の東に位置し、渡良瀬川右岸、八王子はちおうじ丘陵の東側を占めたと推定される。「玉葉」承安二年(一一七二)一一月五日条をはじめとして同年条に散見し、一二月一日条には「祭主卿言上、上野国園田御厨司、訴申新田荘司義重妨事」とあり、伊勢神宮祭主が新田庄司義重(新田義重)の妨を朝廷に訴えている。建久三年(一一九二)八月日の伊勢大神宮神主請文写(神宮雑書)に「薗田御厨二宮 給主内宮一禰宜成長 件御厨去久寿三年建立、御封済所也、保元元年被下奉免 宣下也」とあり、伊勢内宮・外宮両方の料所で、給主は内宮一禰宜荒木田成長、建立は久寿三年(一一五六)で、同年(保元元年)に公認されている。供祭物は両宮ともに布三〇端と勅願御封物であった。

在地領主に園田氏がいた。「法然上人絵伝」巻二六に「上野国の御家人薗田の太郎成家ハ秀郷の将軍九代の孫薗田の次郎成基の嫡男なり」とみえ、当地の地頭と推定できる。年未詳九月二六日に伊勢大神宮司が「上野薗田御厨地頭」に宛てた書状(宮司引付)では、その年の「御封神税米等」徴納のため雑掌を入部させたので厳密の沙汰をしてほしいと要請している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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