土佐国府跡(読み)とさこくふあと

日本歴史地名大系 「土佐国府跡」の解説

土佐国府跡
とさこくふあと

[現在地名]南国市比江

南西流する国分こくぶ川の北岸にある。香長かちよう平野の中央北部にあたり、南に広がる平野を掌握できる地で、また国分川も重要な交通路の役割を担っていた。県指定史跡。

国府が開かれた時期は不明であるが、「日本書紀」天武天皇一三年一一月三日条に「土左国司」からの海難の報告が記され、国司の存在が認められる。国司のはっきり現れるのは天平一五年(七四三)で、「外従五位上引田朝臣虫麻呂」が土左守となった記事(「続日本紀」同年六月三〇日条)が最も早く、なかでも延長八年(九三〇)土佐国司となり来任した紀貫之は、その著「土佐日記」とともに著名

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む