土倉方一衆(読み)どそうかたいっしゅう

改訂新版 世界大百科事典 「土倉方一衆」の意味・わかりやすい解説

土倉方一衆 (どそうかたいっしゅう)

室町時代,洛中洛外の土倉幕府の保護統制下にあり,土倉役と称する課役を負担したもの。14世紀初頭の京都にはすでに300余軒の土倉があったとされるが,その8割方は山門延暦寺)の被官であった。彼らを酒屋とともに幕府の一元的支配下においたのは1393年(明徳4)のことで,このとき山門をはじめとする権門勢家の既得権はすべて否定された。しかし幕府には個々の土倉を掌握するだけの準備があったわけではなく,既存の体制の上に乗って支配を強めていくよりほかなかった。おそらく何人かの有力土倉を介して役銭の徴収などを行ったものと思われる。これが後に納銭方と呼ばれる者になっていった。1431年(永享3)実城なる人物を衆中に召し加える旨,土倉方一衆に伝達している史料が残っているところを見ると,このころの土倉はのような組織をもっていたようにも考えられる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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