デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土屋昌次」の解説 土屋昌次 つちや-まさつぐ 1545-1575 戦国-織豊時代の武将。天文(てんぶん)14年生まれ。武田信玄につかえ,元亀(げんき)3年三方原(みかたがはら)の戦いで徳川家康の臣鳥居忠広をうちとり武功をたてる。天正(てんしょう)3年5月長篠(ながしの)の戦いで戦死。31歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。名は直村とも。通称は平八郎,右衛門尉。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の土屋昌次の言及 【土屋氏】より …譜代。土屋昌次・昌恒兄弟が武田信玄・勝頼に仕えて活躍し,武田氏滅亡後,昌恒の子忠直が召し出され徳川秀忠の近習から1602年(慶長7)下総久留里で2万石の大名に進んだ。同藩は79年(延宝7)取りつぶされ旗本となったが,忠直の次男数直(1608‐79)は徳川家光の近習から若年寄・老中となり,その子政直も老中に就任し9万5000石の大名として常陸土浦に居城した。… ※「土屋昌次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by