日本歴史地名大系 「土山宿」の解説
土山宿
つちやましゆく
〔沿革と規模〕
当地は伊勢大路(古代東海道)が通じ、斎王をはじめ伊勢参宮の通行がみられるなど、古くから近江と伊勢を結ぶ交通の要地であった。また後世御代参街道として整備される湖東への道も早くから開けていた。「如法寺殿紀行」に嘉元四年(一三〇六)九月一〇日「つち山」を通過した記述があるのをはじめ、土山の名は「室町殿伊勢参宮記」や「宗長日記」などにみえ、鈴鹿峠を控えた宿村として開けた。年未詳一二月二〇日の保内惣中書状案(今堀日吉神社文書)によれば、鈴鹿街道の商売にあたり、馬の手配をするよう保内惣中より「土山馬方」へ要請している。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)によれば、南・北両土山が家康に在京賄料として宛行われ、その下にいち早く伝馬を定め置いたらしい。文禄四年(一五九五)五月九日には伊奈忠次・大久保長安・彦坂元正の連署により、当地を管轄した代官美濃部氏に宛て、土山郷の伝馬飼料として屋敷年貢高のうち三〇石を免除する旨通達している(土山町有文書、以下同文書は省略)。慶長六年(一六〇一)東海道の整備とともにその宿駅に指定された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報